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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2011年11月15日 (火) | 編集 |
おなじく二十歳のころ、神奈川県厚木市で暮らしていた。

大家のN村さんは、かなり昔から下宿屋を営んできた。周囲にいくつか大学がある関係で、とても繁盛していたというが、建物が古くなりすぎて部屋が空くようになってしまった。N村さんは、学生に限らず社会人でもいいから入ってくれる人がいないかと店子を探していた。

友人Tが、ここを気に入って住み着いていた。ちょうど家を探していた私も、Tの紹介で転がりこんだのだった。

風呂、トイレ、台所が共同だが、八畳間で一万八千円という破格に安い家賃。ただし、家は汚いからな、とTに念押しされていたから覚悟していたが、想像を絶するひどさだった。

下宿屋として使われてきた建物は、築二十年や三十年のシロモノではない。おそらく五十年はたっているだろう。夜で明かりがついていなければ、廃屋だと言われても納得してしまいそうな、お化け屋敷一歩手前の状態。共用の風呂とトイレは、汚れ放題に汚れていた。

一昔前の苦学生ならいざ知らず、いくら家賃が安いとはいえ、今どき、こんな場所に住もうとする物好きは少ないはずだ。

部屋も、すすけて薄暗い。初日に時間をかけて掃除をしたが、畳も柱も、いくら拭いてもきれいにならず、バケツの水は何杯でも真っ黒になる。途中で気力が尽きてしまった。

夜は無性に恐ろしかった。長い年月の間には一人や二人、非業の死を遂げた奴もいるだろう。この部屋で自殺があったかもしれない。今にも何かが出てきそうな気がする。

しかし、幸いにして変な事は起こらなかった。そうするうちに怯える心は落ち着き、ここでの暮らしにも馴染んでいった。友人には「俺の下宿、オンボロで怖いんだぜ。ありゃ、そのうち出るな」と冗談を言ったが、普段はちっとも気にしてはいなかった。

夜中の一時をすぎた頃だった。そろそろ寝るかと思いながら、寝ころんでテレビを見ていた。

ギシ……ギシ……

廊下を歩いてくる足音。

建物は古い農家の作りで、外に面して廊下がある。一度も張り替えたことがないであろう廊下の床板は、どんなに足音を忍ばせても、必ず軋んで音をたてる。

私の部屋は廊下の突き当たりで、トイレの隣にある。歩いてくる人間の用事は、私の部屋に遊びに来るか、トイレに入るかのどちらか。足音は通りすぎて行った。

(トイレか)

廊下と部屋の仕切は障子戸で、防音の効果はまったくない。足音の主が、ゆっくりと足を運んでいる様子が、よく分かった。遅い時刻だから気を使っているのだろう。

バシーン!

トイレのドアが凄まじい勢いで開いた。ドアが壁に叩きつけられた衝撃で、障子戸がぐらぐら揺れる。尋常ではない力の入れ具合だった。

私は、飛び上がるほど驚いた。

それまでが、いかにも音をださないように心がけている様子の足音だったから、そんなドアの開け方をすると思わなかった。まったくの不意打ちだった。

(いったい誰だろう)

どういうヤツか顔をみてやろうと、すぐ障子を開けられるようにしながら待ったが、いつまでたっても出てくる気配がない。そのとき初めて「おかしい」と気がついた。

音がない。

この建物は壁も薄く、トイレの中の音は、じょぼじょぼいう水音から咳払いまで筒ぬけになる。いつしか慣れて、気にも止めないようになっていたが、改めて注意をむけると、さっきから何の音もしていない。人がいる気配がない。

我慢しきれなくなって、おそるおそる障子戸を開けた。

目の前、ほんの二メートルの位置にトイレがある。ドアは開きっぱなしで、明かりはついていない。

そんなはずはなかった。歩いてきた足音は、たしかに聞こえた。障子戸が揺れるほどの勢いでドアが開いた。そして、帰っていく足音は聞いていない。

たまらなく怖くなり、その日は布団を頭からかぶって寝た。
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