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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2009年11月08日 (日) | 編集 |
あたくし、大の司馬遼太郎ファン。中でも、峠が一番のお気に入り。もう、何回目になるかしら。また、峠を読み返しているのだぜ。

江戸時代、現在の新潟県長岡市に、越後長岡藩がありました。七万四千石という小さな藩でありながら、幕末の戊辰戦争では官軍と熾烈な戦いを繰り広げ、さんざん官軍に苦汁をなめさせています。

その越後長岡藩を指揮した家老、河井継之助の物語。

継之助

冒頭の、このシーン。

雪が来る。

もうそこまできている。あと十日もすれば北海から冬の雲がおし渡ってきて、この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうにちがいない。

(毎年のことだ)

まったく、毎年のことである。あきもせず季節はそれをくりかえしているし、人間も、雪の下で生きるための習慣をくりかえしている。

紅葉が終わろうとするこの季節、城下は冬支度で華やぐ。

(まったく、華やいでいやがる)

ひとびとの動きが、めまぐるしい。街路いっぱいに薪売りの車がならぶし、家々の女どもは春までの野菜を一度に買いこみ、それを何十という樽に漬けてゆく。

相当な身分の武士までが、木にのぼっていた。木にわらを巻かねばならない。石灯籠にも巻き、寺などでは、こま犬にまでわらをかぶせた。城も、同様であった。

越後長岡は、牧野家七万四千石の城下である。天守閣はなかったが、お三階と呼ばれる本丸の楼閣が、市中のどこからでもみえた。それらの塀や建物の壁がむしろでつつまれ、ところどころに竹の押しぶちがあてられた。その雪よけの作業だけで、足軽や人夫などが日に五百人もはたらいている。

継之助は、町をあるいていた。

(北国は、損だ)

とおもう。損である。冬も陽ざしの明るい西国ならばこういうむだな働きや費えは要らないであろう。北国ではこうまで働いても、たかが雪をよけるだけのことであり、それによって一文の得にもならない。

が、この城下のひとびとは、深海の魚がことさら水圧を感じないように、その自然の圧力のなかでにぎにぎしく生きている。この冬支度のばかばかしいばかりのはしゃぎかたはどうであろう。

(鈍重で、折れ釘や石ころを呑めといわれればのんでしまう連中だ。のむ前はさすがにつらい。つい大酒をくらう。大酒で勢いをつけ、唄でもうたって騒ぎ、いざのみこんでしまっては、ぼろぼろ涙をながしている。──それが)

継之助は、つばをのんだ。

(越後長岡人さ)


長くてごめんね。あたくしは、このくだり、背筋がふるえるほど好きなの。

文庫本で二ページくらいの文量で、越後長岡人がなにものなのか、冬支度のひとこまを描写することで見事に描き出している。

幕末における越後長岡藩のあり方というのは、折れ釘や石ころを呑んでしまうかのような人びとの気性のうえに、河井継之助の才能がのっかって生まれている。

この冒頭たった二ページが、小説全体に響く基調になっているのです。

今でも長岡に暮らす人びとは、あきもせず降る雪に、一文の得にもならぬというのに耐えつづけて生きている。長岡出身のごんた君にも、こういう血が流れてるんじゃないかと、勝手に想像してわくわくしちゃうよね。

そして、長岡人というのは、戦国の頃に戻れば上杉謙信の軍兵だった人々。今年の大河ドラマ、天地人も、長岡の周辺を舞台とする物語です。終盤の今は米沢に話が移ってしまったけど。

気質、土地柄、いろんなことを想像させてくれる。 これは、伝統とか文化って何じゃい、ということまで考えの幅を広げることができることを意味します (旧日本海軍の連合艦隊司令長官山本五十六も長岡の出身です)。

くだくだしい説明じゃない。書くべきことを書いて、余計なことは書かない。それなのに、読み手に飛び立つ気さえあれば、想像をどこまでも飛翔させるに十分な風を送り込んでくれる文章。

これが小説だ、と思うの。

司馬遼太郎の才能に、あたくしはしびれるのです。
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