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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2009年10月06日 (火) | 編集 |
■「関ヶ原」 司馬遼太郎 / 新潮文庫

あたくしごときが何を書くこともない司馬遼太郎。以前、図書館で借りて読んでいたものを、やっぱり手元に置きたくて文庫で買い求めました。大河ドラマ「天地人」にも関わりがありますしね。

巷では、歴史好き、戦国好きな女性が増え、秋葉原には戦国カフェなんぞというものもできたと聞くの。

あたくし一生、趣味を同じうする女性とは出会えぬと覚悟していたのですが、これは、おねーさん気が合うかもー、な人との出会いのチャンスがあるやもしれぬ。などと、つい、希望と欲望が芽生えてしまうのを抑えきれぬ。

ただ、ちょっと検索すると、「戦国、歴史、BLを愛する女です」のような自己紹介があふれており、待て、お前らちょっとまて! やっぱり、そういうことなのか? と、目が血走ってしまうのも抑えられぬ。

ひとくちに戦国好きといっても、人によって悦びを刺激されるポイントが違うのは当たり前で、彼女らの視点もいまさら否定はできぬ。男にもいろいろいるのだから、女性もいろいろいるのが道理。それでも、最後の最後では、やっぱり話が合わないかも……という気がしてならない。

あたくしの場合、戦国は単純に殺し合いで、死の物語だと思うので、血なまぐささを感じさせぬ戦国は、どうにも戦国と認めがたい。だめっすだめっす。

せっかく戦国マニアという趣味で接近しておきながら、最後で距離を感じるというのも虚しさ増大しちゃうのよね。いや、接近していると感じたのが錯覚なのかしら。わあ切ない。

あたくしは古いタイプの戦国マニアだから、次のような場面こそ興奮する。血のたぎりである。ぎゃおー。

島隊の突撃はすさまじく、ほとんど倍以上の人数の黒田隊の前隊を苦もなく蹴散らした。黒田長政も必死に自隊を督戦したが、一度崩れ立った足を踏みとどまらせようがなく、ついに潮の引くように退却した。

かわって田中吉政隊三千が島隊の前面にあらわれ、島隊に息つくゆとりもあたえずに攻め立てたが、左近は鉄砲と騎馬の突撃をたくみに繰り返しつつ敵に打撃をあたえ、やがてみずから槍をかざして騎馬隊の突撃を敢行した。

この突撃が尋常のものでなく、士卒の顔はことごとく発狂寸前の相を帯び、死を恐れる者が一人もいない。

「相が、そろっている」

田中兵部大輔吉政は、馬上でおぞ毛をふるった。(中略)

三成はこの一戦の意義を士卒に説き、士卒の心にしみこませ、そのうえで戦列を展開させているにちがいない。

(さもなければ、こうも人相がそろわぬ)

吉政はおもった。


あたくしたちは、合戦のイメージといっても、テレビや映画で見た他人事のようなそれでしかない。鎧兜だって、ほとんどの人は博物館に飾ってあるものしか見たことがない。

それどころか、喧嘩だってろくにしたことがない平和な時代の現代人。数千人、数万人が相手を殺すために激突する合戦の緊迫感は、いくら戦いの描写を巧緻に描かれても、皮膚感覚にないのだからイメージが喚起されない。

だけど、顔なら分かる。戦国の昔とそう変わらずここにあり、あたくしたちも生まれてからずっと見続けてきた人間の顔なら、辛うじてイメージができる。

槍や鉄砲という武器の強さでも、戦術の妙でもない。死を決して、同じ形相をした人間が、ひたひたと押し寄せてくるのだ。面(つら)が攻めてくるのである。怖い、と思う。

そして、受け手の田中吉政の視線で攻め手の顔を描写し、それでもって兵の勢いと緊迫感を想像させる司馬遼太郎のうまさにも、あたくしは唸ってしまうの。さすがだとしか言いようがない。

また、大谷吉継が、小早川秀秋の裏切りを知り、瞬時に敗北を悟って死の覚悟を固めた場面も、止まらないぜ。

即座に下知して退き鉦をたたかせ、兵をまとめて、前面の敵の藤堂・京極勢をすてて、たったいま右側面にあらわれた小早川の大軍をふせごうとした。名将という言葉を、この戦場の敵味方の諸将のなかでもとめるとすれば、大谷吉継こそそうであろう。かれはこの最悪の事態を想定してあらかじめ陣形に伸縮をもたせ、とくに平塚為広、戸田重政の両人に、その場合の先鋒をつとめるよう意をふくめてあったし、また鉄砲隊四百を藤川の西岸に伏せてあった。

その埋伏鉄砲隊が中山道の道路を横切って山ぎわへ躍進し、くさむらに四百挺をならべて、横撃してくる小早川勢に急射撃をあびせた。

吉継は輿をその硝煙のなかに乗り入れ、采配をふるって、

「死ねやぁっ、死ねやぁっ」

と下知し、さらに声をふりしぼって、

「やれ金吾なる者は、千載の醜名を残したぞ。裏切り者を崩せ。突けや。雑兵雑輩には目もくるるべからず。いちずに金吾が旗をめがけよや、金吾を討て、金吾を地獄におとすのに牛頭馬頭羅卒の手をば借りるべからず、汝らが地獄の羅卒のさきがけをせよ」

と、喚き叫びつつ敵陣へ乗り入れてゆく吉継の声、姿は、鬼神が憑り移ったかのごとくであった。大谷勢は、死兵と化した。


ハアハア。

さて、大谷吉継が発した「死ねやぁっ、死ねやぁっ」という叫びですが、これは敵を罵っているのではありませぬ。味方に向けた、最後の鼓舞の言葉です。それも「死ぬ気でかかれ」なんぞという生易しいものではなく、ここで死ねと命じている。

なぜ、味方に死ねと命ずることが士気を高めることになるのか。あたくしは、これが、この時代を理解する、一つの核なんじゃないかと思うんです。「想像もつかない」なんて人は、戦国好きと認めたくないのですが、どうでしょうか。

って誰に聞いているのか分からない文章で、締め。
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