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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2008年06月02日 (月) | 編集 |
毎年、NHK大河ドラマは楽しみにしてみているのですが、「篤姫」はだんだん辛くなってきたなあ……。

とくに、小松尚五郎が気持ち悪くてたまりません。

篤姫と幼馴染だった、尚五郎。尚五郎は、篤姫に恋心を抱き、一度は結婚を決意しますが、時代の激流にのまれて、二人の運命は引き離されてしまいます。

篤姫は、将軍家定の御台所となるため江戸へ。薩摩に残った尚五郎は、小松家に養子に入り、妻帯して、当主となります。小松帯刀清廉。のちに薩摩藩家老となり、藩を切り盛りする人物です。

放送は、二人の別れから数回しか進んでいませんが、ドラマの中の時間では、数年が過ぎています。尚五郎が、密かに篤姫への想いを抱き続けている……のなら、若き日の淡い色合いの思い出となるでしょうが、そうではなく、実に生臭いのです。

尚五郎は、妻帯した後も、なにかと篤姫の様子を知りたがり、噂を耳にすれば、傍目にも分かるほどうろたえます。それで、周囲は「まだ忘れられないのですね」と察し、尚五郎は「馬鹿なことを言わないで下さい、とっくに諦めました」と強がる。

1日の放送では、篤姫の噂を聞きつけて心の揺れを抑えきれず、ついに、主君の島津斉彬に、「殿は篤姫様を利用したのですか!」と、私情まるだしの直言をぶつけました。公私の別を忘れるほどの執着。異常です。

篤姫のほうは、とうに自分の運命を受け入れて、強く生きる道を模索しはじめているというのに。尚五郎は、かつて心惹かれた女性への想いを断ち切れず、いつまでも振り回されている。強い女と、弱い男。なんだか現代の男女関係を思わせますね。

現代風な解釈で、物語を再構築することは否定しません。けれども、歴史の「大枠」まで作り変えてしまうのは、やりすぎだと感じます。

大枠とは、当時の人々の行動、様式を支配する文化や慣習のことです。たとえば、武士というもののあり方です。

武士道は、武士の道徳であり、処世術ですが、一面では、戦国の頃の、野犬のような荒々しさをもつ戦士を、「武士道」という型枠にはめこんで飼い馴らし、無闇に飼い主に噛みつくことのない、番犬としての「サムライ」に、しつける意図がありました。

また、当の武士からも、戦乱の世が去って太平の世となり、自らの存在意義を問ううちに、求道的な「武士道」が必要とされた事情もあります。戦士では、戦いの時以外は不要ですが、武士道を追究するなら一生かかりますからね。

いずれにせよ、幕末という時代には、行儀作法にやかましく、己を律することが武士としての心構え、生き方だというのは、疑問をさしはさむ余地もなく当然の道徳でした。もっとも、最下級武士の中には、あまりの経済的困窮から、脱落する者が出ていましたが……。

武士というのは、現代人から見れば、とんでもないマゾ野郎たちだったと言ってもいい。それが、あの時代と、武士階級だけが持っていた特徴だったわけです。まして薩摩武士は、薩摩隼人と呼ばれ、剛毅な気風をもっとも重んじた国柄です。尚五郎は、そういう土地の上級武士の家柄に生まれています。

だから、尚五郎が、篤姫に特別な想いを抱いていたならば、なおのこと、主君に向かって、「姫を利用したのか?」と、問うはずがありません。斉彬が、篤姫を利用していたら、どうだというのでしょう。「いくら殿でも、篤姫様を大事にしないのは許しませんよ!」とでも、詰め寄るのでしょうか。できるはずがありません。斉彬が真実を答えるとも限りません。そして、斉彬の答えが、イエスにしろ、ノーにしろ、尚五郎にできるのは、黙って受け入れることだけなのです。

とすれば、この問いは結局のところ、「わたくしは、未だに篤姫への想いを断ち切れておらず、未熟で、粘着質で、ストーカー一歩手前なんです」と、告白するだけの結果になります。尚五郎ほどの立場の人物が、自らを辱めるだけの愚問を発するでしょうか。また、発するような思慮の足りない人物であれば、幕末の難しい時期を担当した家老として、後世に名を残すでしょうか。

ドラマに話を戻せば、なぜ誰も、尚五郎を諌めないのか不思議でなりません。そろそろ斉彬は、おまえの感情は妄執であると一喝すべきでしょう。妻がありながら、その悩乱はどうしたわけだ、と。

答えは、「篤姫」が、現代の恋愛至上主義の風潮を取り入れた、青春ドラマだからです。だから、忘れられぬ恋に惑い、藩主の批判にまで及ぶさまは、武士道に外れた行いと断罪されないどころか、みなが理解を示すのです。だって、恋愛って大切じゃん! お前の気持ち分かるぜ、恋は辛いよな! というわけ。だから、何度も何度も、尚五郎と篤姫の心の交流と、別れの辛さが描かれるのです。

ぼく自身はおっさんのくせに年甲斐もなく、aikoのファンで、恋愛がなにより大事の感覚は大好きだったりするのですが、大河ドラマでやられたら、たまったもんじゃありません。

妙に感性が現代的なのは、尚五郎だけではありません。家定公にしろ、篤姫にしろ、どうみても現代人です。家定公なんぞ、寝所で篤姫に、「うつけじゃないけど、うつけの振りをしていたんだ」と告白しておきながら、「わしは人間を信じぬ。誰一人としてな」と、うそぶいちゃうのです。「どうせ、誰もぼくを理解してくれないんだ」と、殻に閉じこもってすねる子供のようなセリフに、背筋に悪寒が走りました。

武家階級の中でも上流に属する人間たち(家定公にいたっては、武家の棟梁です!)が、現代の一般庶民と、まるで変わらぬ弱さを持っていて、臆面もなくさらけ出して恥じるところがない。

お前ら、本当にええ加減にせえよ。と、画面に向かってつぶやいた、ぼくの気持ちが分かってもらえるでしょうか。


NHKは視聴者を引き込もうと考えて、現代的味付けを施しているのでしょうけど、やめてもらいたい。

時代物を見る楽しみは、外国の物語にも同じことが言えると思うのですが、自分との違いを知ることです。同時に、理解できるものを発見する楽しみでもあります。

ぼくたちとは違う環境と感性の人々の物語に、ぼくたちでも理解できる、人生の困難や不合理、親子の愛憎、恋の苦しみと喜び──人間の普遍的営みを見つけるからこそ、深い共感と、ヒントが得られるのだと思うのです。

違うから意味があるのです。ぼくたちと同じ感性の人間が出てきたのでは、まったく台無しなのです。

ことさら、格好よく美しく描こうとする必要もありません。ぼくらと違う価値観で生きていた人たちの、人生そのものが、脂がしたたるような上等な素材で、十分な旨みを含んでいると思うので。過剰な味付けは、しないのが吉です。

大河ドラマだけは、骨太に硬派に、異質な人々を描いてほしいと希望しているのですが、願いは届きそうにありません……。
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コメント
この記事へのコメント
れみさま>
はは、またマニアックな主人公ですなあ。
NHKの場合、素材よりも、料理の仕方に問題があるように感じます。
若者に媚びても、ろくなことないのにね。

うりさま>
「峠」、ですね。
最近は、継之助の人格に欠けていた部分の面白さが分かるようになってきました。
影の部分だけでは他人を惹きつけないけれど、料理の苦味みたいなもので、加わると深まるものがありますなあ。
2008/06/06(金) 01:05:17 | URL | たれぞう #/blqkyuM[ 編集]
やっぱり峠をやってほしいね。
主人公役には大御所を使って欲しいなぁ。。。

最近のはどうも学芸会ののりでいまいちなんだよねぇ。。。

でも、風林火山は楽しかったです。
2008/06/06(金) 00:38:31 | URL | uri #-[ 編集]
>大河ドラマだけは、骨太に硬派に、異質な人々を描いてほしいと希望しているのですが、願いは届きそうにありません……。

松永久秀、宇喜多直家のどちらかを主人公にすれば見事に骨太な大河ドラマができるとき大破しているのですが…
2008/06/02(月) 20:35:20 | URL | Remy #MB3oC9d6[ 編集]
やあ、どうも!

新撰組は、大河ドラマの中でも、恐らく最悪の出来だったでしょうね。あれは、ひどかった。。。

当時、「そうせざるをえなかった」立場や制約を、ぼくらが馴染んでる価値基準で判定して、たとえば、「近藤の気持ち、分かるなあ」と、感じたときに、そういう理解に意味があるのだろうかと思うのですよね。

それをやりたいなら、舞台を現代にすれば良いわけで。。。

と、マニアは文句が多くて困りますね。たのむよ、NHKぇぇぇぇ!

でも、「篤姫」は、それなりに若い人が見ていて評判よいようですよ。「尚ちゃんの気持ち分かるなあ~。大変だけど、くじけずに頑張れ!」っていう感じの感想みたいですけど。笑
2008/06/02(月) 18:21:40 | URL | たれぞう #/blqkyuM[ 編集]
大河ドラマは、以前に数年連続でガッカリ君だった以来観ていないんですが、なるほどね~。
数年前の新撰組を2回ほど観てやめた時に感じた違和感、なるほどコレかぁと文章読んでて納得です。

迷走しとるんですかね、NHK。
個人的には嫌いじゃないんだけどな、NHK。
NHKしかできないことがあるだろうにねぇ。


もう、思いっきり視聴者不在のマニアックNHKの復活を望む!
TXに負けるな!

2008/06/02(月) 14:09:46 | URL | Gun-Ze #mQop/nM.[ 編集]
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