2019年01月15日 (火) | 編集 |
42-44.宮崎勤裁判 上・中・下/佐木隆三 (再読)
45.改訂版 宮崎勤 精神鑑定書 多重人格説の検証/瀧野隆浩 (再読)
46.夢のなか/宮崎勤 (再読)
宮崎勤については、説明の必要がない。ぼくは宮崎勤が逮捕された当時から、事件に強い興味があって、彼について書かれた本はほとんど読んでいる。今回、わけあって家にある宮崎勤関係の本を読み返してみた。結果、疑念が確信にかわりつつある。手放してしまった関係本を、ふたたび古書店や図書館でさがしているところ。
それに、いま住んでいるのが宮﨑の生活圏だった土地で、宮崎が小学生女子を撮影するために訪れた小学校も近くにある。この土地出身の、わが奥方様も狙われる可能性もあったことに、あらためて気づいた。おそろしい。
47-54.日露戦争 全八巻/児島襄 (再読)
敬愛する戦史研究家、児島襄(のぼる)が書いた、日露戦争についての小説。三回目か、四回目の再読。司馬遼太郎の『坂の上の雲』からの流れで読んだ。
この小説を読むと、司馬遼太郎の乃木希典に対する評価が厳しすぎるように思える。乃木の評価の大部分は、旅順要塞攻略時の采配によるものだが、乃木軍の作戦は、ほとんどの場合、上級司令部(現地軍である満州軍総司令部、あるいは東京の大本営)の指導、同意にもとづくものであった。
児玉源太郎が、大山巌から「第三軍の指揮権を児玉に与える」旨の許諾を得て、乃木の司令部へ指導にむかった有名な場面も、こうなっている。

―― 日露戦争 第四巻(文庫版) p.445
見づらい画像で失礼。キモは、ここ。
他にも、乃木軍の作戦は、日露戦争の全期間を通じて、普通ありえぬほどの、いちいちの指導を受けている。たしかに、乃木の軍事的才能は優れていたとは評価しかねるようだが、無能と言い切って多大な損害の責任を押しつけるのは酷に感じる。
などと、語りだすと止まらなくなるので、この辺で。要するに、ぼく、たたかいがだいすき。ちょう危険人物。おういえ。
児島襄、おもしろい作品を多数残したと思うのだけれど、ほぼ忘れられた作家になっている。残念。でも、おれひとり、おもしろさを知っていると優越感にひたり、くふりくふり笑うにはいいのかしらん。くふりくふり。
以上、2018年の読書は、わずか50冊あまり。こんなに少なかった一年ははじめてかもしれない。そういう時期もあると自分をなぐさめつつ、2018年はおわったのでありました。
45.改訂版 宮崎勤 精神鑑定書 多重人格説の検証/瀧野隆浩 (再読)
46.夢のなか/宮崎勤 (再読)
宮崎勤については、説明の必要がない。ぼくは宮崎勤が逮捕された当時から、事件に強い興味があって、彼について書かれた本はほとんど読んでいる。今回、わけあって家にある宮崎勤関係の本を読み返してみた。結果、疑念が確信にかわりつつある。手放してしまった関係本を、ふたたび古書店や図書館でさがしているところ。
それに、いま住んでいるのが宮﨑の生活圏だった土地で、宮崎が小学生女子を撮影するために訪れた小学校も近くにある。この土地出身の、わが奥方様も狙われる可能性もあったことに、あらためて気づいた。おそろしい。
47-54.日露戦争 全八巻/児島襄 (再読)
敬愛する戦史研究家、児島襄(のぼる)が書いた、日露戦争についての小説。三回目か、四回目の再読。司馬遼太郎の『坂の上の雲』からの流れで読んだ。
この小説を読むと、司馬遼太郎の乃木希典に対する評価が厳しすぎるように思える。乃木の評価の大部分は、旅順要塞攻略時の采配によるものだが、乃木軍の作戦は、ほとんどの場合、上級司令部(現地軍である満州軍総司令部、あるいは東京の大本営)の指導、同意にもとづくものであった。
児玉源太郎が、大山巌から「第三軍の指揮権を児玉に与える」旨の許諾を得て、乃木の司令部へ指導にむかった有名な場面も、こうなっている。

―― 日露戦争 第四巻(文庫版) p.445
見づらい画像で失礼。キモは、ここ。
(児玉)大将の意向を知った(大山)元帥は、大将を注視した。細い眼はそのままだが、眼尻がつりあがっている。腹中の怒りをおさえるときの元帥特有の現象である。
「行きなはンは、よか。じゃどん、お前ンさぁの責任な、どげないもすか」
元帥は、第三軍の東北正面攻撃が、実際には参謀次長時代から総参謀長になってからも児玉大将の指導下で実施された事情を、指摘しているのである。
他にも、乃木軍の作戦は、日露戦争の全期間を通じて、普通ありえぬほどの、いちいちの指導を受けている。たしかに、乃木の軍事的才能は優れていたとは評価しかねるようだが、無能と言い切って多大な損害の責任を押しつけるのは酷に感じる。
などと、語りだすと止まらなくなるので、この辺で。要するに、ぼく、たたかいがだいすき。ちょう危険人物。おういえ。
児島襄、おもしろい作品を多数残したと思うのだけれど、ほぼ忘れられた作家になっている。残念。でも、おれひとり、おもしろさを知っていると優越感にひたり、くふりくふり笑うにはいいのかしらん。くふりくふり。
以上、2018年の読書は、わずか50冊あまり。こんなに少なかった一年ははじめてかもしれない。そういう時期もあると自分をなぐさめつつ、2018年はおわったのでありました。
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