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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2017年11月17日 (金) | 編集 |
どうしても心がゆれるのです。

決めたことなのに、覚悟を固めたはずのことなのに、しつこいカビのように、曇りが広がって心をおおうことがあるのです。

あきらめたほうが楽だとか、利用されているだけだとか、心の一点で、もしかしたらそうかもしれないと疑念をいだいてる部分があるものだから、蝕まれてゆく時があるのです。

よわいなあ、って。自分自身に絶望するのです。

何かの本で、途中経過は大切だが、結果も同じように大切なのだと書いてありました。

たとえば、邪悪。

とても正直で、善良な心をもつ人がいたとします。ところが、この人は思わぬ事情で人を殺してしまう。

反対に、表面的には人当たりがいいのですが、内面は自己中心的で人を殺してみたいという強い欲望を抱えている人がいたとします。しかし、欲望を実行に移すことはなく、皆には「いい人」と思われたまま一生を終える。

この場合、悪はどちらでしょうか。

ここでは、内心の善良と邪悪を書き分けましたが、現実には、その人の内心は知りようがありません。結果がどうなのか、外側からどのように見えるか、何をなしたのかで判断するしかないではないか、というのです。為したことこそが「本当の姿」と考えてもいいのではないか、というのです。

なにがあってもゆれることのない、強い信念にもとづく心をもつことは、弱いぼくには、どうにもできそうにありません。

でも、どれだけ激しくゆさぶられても、妻と、ずっと一緒にいる結果を残したい。

極度に人の神経をさかなでする言動が多い妻に「コノヤロウ」と腹をたてることがあっても、「別れたほうが楽だよ、なんで我慢してるの?」と知人に忠告されても、「利用されてるんだよ。気がついてないのはお前だけだよ。意外とバカだったんだな」と父に嘲笑されても。

人に利用され、裏切られることばかりだった人間不信から、お返しとばかりに裏切ることも多かったという妻の人生。

世の中は、そればかりではない。安心できる場所を、力を合わせて作り上げることもできるのだと、なんとかわかってほしい。

ぼくの両親は折り合いが悪く、交代で失踪するような人たちでした。朝起きると片親が消えている。どこに行ったのかわからない。何ヶ月も、何年も帰ってこず、連絡もとれない。大切な人が前触れもなく姿を消す、その恐怖は、今でも心に残っています。

「安心できる場所」はなにより大切だと、ぼくは思うのです。

傷は深いのだから、すぐに信じることはできなくていい。ずっと後になってからでいいから、「安心して大丈夫な居場所ってあったんだなあ」と心から実感してもらえたら、うれしい。

社会的な成功を、妻に味わってもらうことができそうにないのが本当に悔しいけれど、生まれてきたから感じられる暖かさもあること、それを妻に証明してみせるために、ぼくは戦っています。

なにものか見守っている存在があるならば、この戦いをご照覧あれ。

ゆれるけど、ふんばる。がんばる。
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