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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2011年02月03日 (木) | 編集 |
図書館で本を借りた。

読むものはいっぱいあるというのに借りちゃって、我ながら、どうするつもりなのか。

冗談じゃなく、部屋が平積みの本で埋まってきたわ。捨てるか処分せんと、いかんなー。

……などと考えるのもシアワセというもので、心をあったかくしながら、家にむかって歩いていた。

ちょうど、小学校の下校時刻とかさなった。元気な小学生たちが、あたくしを追いこして走っていく。

いまどきの女子はみんな、おしゃれで、かわいらしいね。来春からは中学生かと思う年頃の女の子たちが、お友だちと笑いあっている。上気させた頬がみずみずしく、咲き誇る春を待つ花のつぼみのようである。

……と、あたくしが書くと、かぎりなくイヤラシイのだけども、そんなんじゃないむううううん。

きみたちをみていると、あたくしは、この曲を思い出す。

大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ
幸福は誰かがきっと 運んでくれると信じてるね
少女だったといつの日か 想う時がくるのさ
――想い出がいっぱい


きみたちの行先が明るくありますように。

人生にいきづまったあたくしは、こんな感じである。

じじいの階段おりる おれはもう死んでらーさ(社会的に)
生活は福祉がきっと 保護してくれると信じてるね
あかんかったといつの日か 想う時がくるのさ
って もう来てる気がするんですけども!
――人生がいっぱいいっぱい


大人びた女子と、同じくらいの年の男子は、ホストみたいな髪型をした将来のモテモテ確定のカッコイイ派と、むかしながらの頭ボサボサ、服よれよれアホ丸出し派とに二分されている。

おじさんは、アホ丸出し派にシンパシーをおぼえる。がんばりなさい、がんばりなさいと応援しておくわ。

この、黒田官兵衛のごとき智謀は、どうであろう。

男子の場合、アホは成長してもアホのままゆえである。自分を脅かすモテメンに成長する危惧はない種類を応援することによって、地位は安泰にして、子どもを見守るやさしい大人――という演出をほどこすことが可能になるのである。

ただし、女性のみなさまに計算高い心のうちを知られれば、警戒をうけるおそれ、これあり。深く胸に秘して、表面はにこやかな大人の男を演じなければならない。クククク。

3年生か4年生くらいの男の子と、女の子が話をしている。

男の子が、大人の手のひらほどの紙袋を、ぶっきらぼうにつきだした。受けとった女の子は中をのぞいて、顔を輝かせた。

「ほんと!? くれんの!? いいの? ありがとう!」

よほど、嬉しいものをもらったとみえて、

「わあああい、わあああああい」

と喜びながら、なんども跳ねた。ランドセルについた、頭のでっかいウサギのマスコットも、一緒にぴょこぴょこ揺れる。

男の子は、笑み崩れようとする顔を、半笑いでとどめて必死にガマンしている。口をへの字に結んでいるけども、口角が上がってしまっている。顔が真っ赤だ。

だれの目もなければ、女の子を喜ばせられたことの誇らしさに、衝動的に光の速度でどこまでもかけていくであろう。

淡い恋かしら?

わあい、なんだか、ほほえましいなー。おじさんも、つい笑顔になってしまうぜ。

と、女の子が、んっという感じに手を差しだした。男の子はとまどっていたが、ぎゅっと手を握った。仲良く手をつなぎ、歩いて行くふたり。

わあ……。

そういえば、あたくしは、もう10年も女子と手をつないでないな……。

なんだか、すごく、ねたましいな……。

ふたりのあとを歩きながら、うまく邪魔だてする方法はないかと、本気で考えている自分に気づく。

この三白眼の凶相ぐあいといったら。おじさん、すごく心せまーーーーーい! いえーい!
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2011年02月03日 (木) | 編集 |
なんか、映画『インセプション』の評判が、周囲でイマイチだわ!

まうまうも今ひとつだったようですし、ウリくんにも「複雑すぎだ、もっとシンプルでよかった」と言われちゃった。

ほかにも、何人かの知りあいから、かんばしくない答えが返ってきたの。

おれさまは、でかぷりお、渡辺謙という大好き俳優が、ふたりも出ているおかげで劇場に見に行ったし、☆5つつけちゃうくらい満足したんだよにゃー。わんわん。

映画のレビューサイトを見ていても、

「複雑」
「むずかしい」
「哲学的」

なんていう感想がめだつ。

たしかにそうなんだけど、それで終わっちゃうのは、ちょっとせつない。

「裁判長! 異議があります」

と、声と腹を大にして、申し立てたい。

ということで、あたくしが『インセプション』にツボった感想を書きます。

ただし強烈にネタバレなので、これから楽しみたい人は、みちゃだめ。

10


9


8


7


6


5


4


3


2


1


あらためて。

映画サイトのレビューをみていても、「むずかしい」という評判がめだつ。

ということは、みんなマジメにみちゃってるの、アレを。

だめ!

そんなマジメにみちゃだめえええええええええ!

あたくしは、そういう人に注意を喚起したい。

この映画は、なんの映画か?

ある人の夢に、他人が夢を見て侵入してくる、徹頭徹尾、夢の映画である。

夢が「入れ子(マトリョーシカみたいな)」になっていて、夢を見ている主体――だれの夢なのか?――がカギになる。

この設定が、すべてを物語っている。

映画のラストを思いかえすがよい。コマが止まるのか、止まらないのか、思わせぶりなシーンでおわる。

すなわち、あの出来事は、でかぷりおが見ている夢のひとつかもしれないと示唆されている。

……いや、ちょっとまて!

この「ラストシーン」に使われた夢の主体は、本当に、でかぷりおなのか?

奥さんの夢かもしれない。子どもの夢かもしれない。渡辺謙かもしれない。いや、一度も劇中に描かれていない人物の見た夢という反則技だって、その可能性を排除できないのだから、解釈は成り立ちうる。

いったい誰の夢なのだ!?

もっと言えば、ノーラン監督が「こんな夢をみた」と言ってるだけの、黒澤明の『夢』と同じような映画かもしれない。

そう考えてくると、ラストのコマ、あれが示唆する「夢かもしれない」というのは、「夢かもしれない主体」は、でかぷりおだけにかかっているのではない。

『インセプション』という映画そのもの、ひいては、観客へ「あなたの夢です。映画なんか夢みたいもんでしょ?」と言っちゃうことすらできる。

ということは、そりゃ夢なんだから、物語がシンプルなはずはないし、どこかで見たようなシーンも出てくるだろうし、へんに意味深だろうし、わけのわからない不気味さも強いだろう。

もう、なんでもアリだぜ、ウハハハー!

『インセプション』とは、148分かけて、最後にノーラン監督が、

「ごめええええん、全部ウソウソウソー!! だって夢の話なんだむううううん! わけわかんなくて当然だむうううううん! でも、映像はおもしろかったでしょ? キャハハハハハハハ、ウホホホホ、ゴホゴホ」

と叫ぶ、夢オチを逆手にとった、どうとでも解釈できるという意味で、やっぱり夢オチの映画なのだ。

あたくしには、あの頼りなく回るコマから、監督が床をころげまわって笑う声が聞こえてきた気がした。

……そういう風に理解すると、

「てめえ、この野郎、やりやがったな!」

と、大笑いできて、へんに頭を悩ませないで楽しめるのではないかしら。

もう、だいすき。

まあ、劇場でゲラゲラ笑ってるのは、あたくし一人だったけどね……。