FC2ブログ
捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2010年01月05日 (火) | 編集 |
仕事の昼休み、喫茶店で、読みかけの文庫本を開きながらコーヒーを飲んでいた。あまりコーヒーは好きではないのだけれど、たまに飲むと美味しい。ああん、しあわせのひととき。

しあわせを増すのは、となりの席に若い女性が座っていること。年の頃、二十代前半。おとなしめな化粧の、愛らしいお嬢さんである。きゃーん。

おっさんの視線は不快だろうから遠慮せねばならないが、おっさんには見ないという選択は存在しない。見てはいけないが、見る。この二律背反を解く方法はあるだろうか。

ある。

文庫本を目の高さに持ち上げる。あくまで自然を装い、姿勢をわずかに女性方向に傾ける。ついで、眼球をじわじわと動かす。視界の端ぎりぎりに女性の姿が映る。端から見れば、読書にふけっているようにしか見えぬであろう。もちろん、読書はしている。同時に、懸命に携帯をいじっている女性の仕草も見えてしまう。

かくして、読書と美人見を一度に楽しむことが可能になる。ありふれた喫茶店が極楽と化す。わあ、いかなる前世の功徳によるものでありましょうか、仏様?

ほどなくして、女性のお友達がやってきた。待ち合わせだった様子。

「ごめーん。遅くなった」
「いいよ。まだ時間じゃないし」

きゃーん。女性が二人。しあわせも二倍。読書に振り向ける神経は、たちまち通常の五分の一に減じた。すなわち、

・女性Aの姿
・女性Aの声
・女性Bの姿
・女性Bの声
・本

この五つの作業を並立的に処理しなければならないからである。これぞ、マルチタスク。

「なにしてんの」
「メール」
「ふーん」

しばしの沈黙。

「なんか面白いことあった?」
「うーん。あー、アバター見た」
「映画か」
「そう」
「どうだった?」
「それがね、すごかった」

こうして、女性の片割れは「アバター」のストーリーを語り始めた。その声のでかいことと言ったら。聞きたくなくても無理矢理に耳に押し入ってくるような大声。あたくしは、聞こうと思って耳をそばだてていたのだけどね。

君ら、周囲の人のことを何も考えてないな! これから見ようと思ってる人が店内にいたらどうするのだ!

「ぼくたち、これからデート。映画見るんだ。アバターがよさそうだよね。楽しみだね。二人の思い出になるね。うふふ、愛してるよ、愛してるよ、ちゅっちゅっ」

なんていうカップルがいたら、腹立ちまぎれに殺されかねない。

あたくしだって相手が、あたくしより年下で、あたくしより力が弱くて、あたくしより気が弱そうな、たとえば小学生男子だったら居丈高に「うっせー黙れ!」と一喝するところである。中学生男子になると、もう怖いから叱れないけど。

だが女性なので許す。あたくし、女性が相手ならなにもかも許す。この度量の広さはどうであろう。御旗楯無も照覧あれ。

かくして、あたくしは喫茶店で隣に座った女性から「アバター」のストーリーとラストを聞いてしまった。ああ、しあわせ。みんなにも、しあわせのおすそ分けをするので覚悟されたい。ねたばれとか、なんとか、もう知らねえ。

「なんかねー、主人公のお兄さんが怪我するんだよね。それで代わりに主人公が連れてかれんだ。あ、主人公が弟なんだけどね」
「へー」
「弟は俺かんけーねーし、いきたくねーしって、ぶちぶち文句いうの。で、なんかへんな青いのと地球人が戦うんだ」
「へー」
「まじきもいじゃん。あの青いの。でもさー、なんか見てるうちに慣れてくんだよね」
「あー、わかるかも」
「で、なんか主人公が青い女を好きになっちゃってさー。まじかよー。メスだよ、あれ」
「メスかよ」
「メスじゃん。青いしさー。女じゃないよ」
「なんかうけるー」
「でさー、主人公がメスへの愛と地球人のあいだでうじうじなやんでさー、俺が解決してみせるとかいって頑張る気になってー」
「へー」
「で、地球の軍隊やっつけちゃってさー」
「へー」
「最後、なんか青いやつの長老みたいのが術を使って、主人公を青いのにできるから選べとかいってさー。主人公青くなっちゃうんだー。で、メスと仲良く暮らすの」
「まじー」
「まじだよー。メスだよ、メスー。ありえんでしょ。きもいじゃん」
「うけるー」
「なんかねー、すごかった」
「なんか聞くと、すっごいつまんなそうだよね」
「いやいやいや、それがちょーおもしろいんだって。あれは見るべきだよ」
「まじー。じゃー、こんど見ようかな」
「うん、見た方がいいよ」

これが、ガールズトークというやつであろうか? その現場に立ち合ってるの? キャー! あたくしは大興奮。目は活字を上滑りするだけで、本の内容がひとつも頭に入ってこない。

と、女性Bが時計をちらっと見た。

「ちょっと、C子遅くない?」
「いつもじゃん。あの子、時間通りにきたことないじゃん」
「そうだよね」
「化粧に手間取ってんじゃないの」
「気合いれてんのかな」
「どーでもいい顔してんのにね」
「うけるー」
「化粧も、いつもだっさいしさ。昭和の顔だよ。昭和」
「まじで。うちら平成なのにね」
「ひとりだけ昭和だよ」
「うけるー」
「服も変じゃない?」
「あー、あの子センスないよね」
「全身ユニクロみたいじゃん」
「ねー。あれはありえないよね」
「あんた教えてあげなよ」
「無理だよー。そんなこと言うなら、あんたが教えなよ」
「全部だめってなんか言えるわけないじゃん。いいとこひとつもないんだし」
「うん、あたしなら、そんなこと言われたら死ぬかもしんない」
「ねー。まー、あの子面の皮厚いから平気かもね」
「どんな女だよ、まじうけるー」

そこにC子さん登場。

「ごめーん。まった? 遅くなっちゃった」
「もー、遅いよー」
「待ってたんだよー」
「C子はおしゃれだからさー、気合いれすぎなんだよ」
「そんなことないよー」
「でもメイク決まってるじゃん」
「そんなことないって」

三人は、ファッションやらメイクの話題やらで、きゃっきゃっとはしゃいでいた。

おおおおお、おんなこええええええ。

公共の場で、そんな裏の顔全開して女同士の暗闘を展開しないでもらえんやろか。おじさんは怖くて怯えてしまうので……。
スポンサーサイト



2010年01月05日 (火) | 編集 |
本をたくさん読むしあわせ。

■生物と無生物のあいだ(福岡伸一/講談社現代新書)

分子生物学のセンセイが書いた本で、帯には「新書大賞 サントリー学芸賞 ダブル受賞!! 60万部突破!」と、大きく謳われている。

生命とは何か? それは自己複製を行うシステムである。そして、もう一つが「動的平衡」だという。

生命は、機械のようにあるパーツを壊したら即故障が現れるというものではない。遺伝子の一部に不具合や欠損があっても、それを別のなにかがカバーして、一見すると何の障害もないかのように生きていく場合がある。いったい何が起きているのだろう。

機械と生命の大きな違いは、そういう柔らかさ。それこそが、命の本質なのではないか、という本。

とても面白いのだけど、やや構成が悪い。「おお、それでそれでっ?」と前のめりになって、続きを期待したところで章が切れる。次章、話が違うところに転じてしまって、せっかくの思考の流れが中断されることが多い。もともと、連載の文章をまとめた本らしいから、仕方ないところなのかな。

福岡センセイの思い出話が半分、生物学の表面をやわやわと撫で回す内容が半分。門外漢の一般人向けに、生物学への興味の入り口になるように書かれた、柔らかい本。読みやすくて、いいんじゃないかしら。


■老師と少年(南直哉/新潮文庫)

禅僧の南直哉が書いた物語。

迷える弟子が、師のもとに救いを求めて説教を聞きに行く。ぼくは苦しい! ぼくは悩んでいる! ぼくはどうしたらいいのでしょうか!


少年「当たり前の世界には問うてはいけないこと、考えてはいけないことがあるのですか? けれどもぼくみたいに、それがどうしても忘れられず、考えずにいられない者もいるのです」
(中略)
老師「友よ。多くの子供は大人に隠され、問いを忘れて、当たり前の大人になっていく。しかし、数少ない子供は、隠されていることを忘れない。どちらがよいのか、正しいのか、私は知らない。ただ、忘れられない者は考え続ける。苦しむ。だが、そうする他はない。それは彼の運命だ。そして君の運命だ」
「なぜです。みんなが考えるべきこと、考えなくてはいけないことではないのですか?」
「そうではない。考えてしまう人と、考えなくてもすむ人がいるだけだ。そして、考えなくてもすむ人が、世の中の仕組みを決めていく。その世の中で、考えてしまう人は迷い、遅れ、損をする」
「ああ、それはあまりに不公平だ」
「そうだ。しかし友よ。考えなくてすむ人も、いつか考えるときがくるかもしれない。隠されていた問いが現れ、忘れていた問いを思い出すかもしれない」
「師よ。それはいつですか」
「大人であることに疲れるときもある。偶然が身の回りのすべてを壊していくこともある。日々、我々は病み、老いていく。そして誰もが、人はただひとりで死んでいくことに気づくのだ」
「考えていた人が報われるのですね? 救われるのですね?」
「いや。何も報われない。何も救われない。ただし、大人たちは、それまで考えなかった人たちは、君たちがこの世に存在し、考え続けてきたことの意味を理解するだろう」
「師よ。ぼくは考え続けていいのでしょうか。考え続けた方がいいのでしょうか」
「友よ。それは君が決めることだ」


眠りに落ちる間際、嫌な思い出が次々に蘇ってきて、

「うわああああ、死にたい死にたい、あれも失敗したこれも失敗したいろいろ失敗した、おれはどうしてこうなんだ、死にたい死にたい死にたいうわああああ」

と悶えて呻くのが日課になっている人は、枕元に置いておきたくなる本だと思うの。あたくしのことであるが。へへっ。


■用心棒日月抄(藤沢周平/新潮文庫)

自分の歴史小説、時代小説への愛着は、いったいなんだろう。と思いつつ、司馬遼太郎と藤沢周平が好き。単純に、心がおっさんだということなのかしら。むきー、ほっとけ。

藩の陰謀に巻き込まれ、出奔せざるを得なくなった男。江戸で、その日暮らしを送っている。

口入れ屋(今でいう人材派遣業)に仕事をもらいに行く。武士らしく剣の腕を生かした、用心棒の仕事がありがたい。しかし、よい仕事が入らなければ、身体にきつい荷物運びの人足仕事もしなければならない。暮らしは楽ではない。

しかし、男はただの浪人ではない。藩の重大な秘密を握っている。藩は男を抹殺しようと、刺客を江戸まで送ってくる。ひとときも気を抜くことはできないのだ。

時は元禄。五代将軍綱吉の治世。男の周囲に、赤穂浪士の討ち入りがからんできて、織りなすドラマ。

男も赤穂浪士たちも、あがらえない何か大きくて重いものに押し流されて、自ら望んだわけではないのに、ある方向に向かって生きていく。せめて、その時によいと思える選択を小さく積み重ねていくしかないではないか。

赤穂浪士たちは、見事に吉良を討ち果たして本懐を遂げた。

次々と現れる刺客を辛うじて返り討ちにして、なんとか命をつないでいた男も、藩から呼び出されて帰参がかなうのだが……。結末は書けねえ! 自分で読め!(横暴)