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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2009年10月31日 (土) | 編集 |
*大和*

もう、ちょっと奥さん、見てよ見てよ。

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あたくしは、片手武器にはスタミナリーチはいらない男。スタリーよりも、命中、回避のダブル低下が欲しい。したがって、このリーフブレード、あたくしの求めているプロパティがばっちり乗っかった理想の品。

おいくらだと思います? 70万gpですって! さすがに貧乏人あたくしも即買いできるお値段。プレイヤーが軒並み、数千万、数億gpの資産を持っている時代に、70万gpですって。デフレの影響が、いよいよUO内にも及んできたとみえる。

お店で見つけたときに、嬉しさ半分、憎たらしさ半分。おまけに売れ残りの雰囲気があったのは、どういうわけであろう。

恐ろしい時代になったものだよ。人それぞれ意見はあろうが、「いい装備が手に入らないから勝てない」という、へたれ定番の言い訳が一つ封じられることになるから、よいことであると思うの。

とはいえ、まだ、マクロの暴発、回線の切断、眠くて間違えたという、ありもしない言い訳三点セットが残っておる。

そんなの信じなーい、信じなーい。死んだ瞬間にログアウトして乗りドラ逃がしておいて、「回線切れた」もなにもないぜ。長年、身内MPKの嵐をくぐりぬけてボス討伐に勤しんできた元M*Rリーダーの目はごまさかれないのであって、断じて信じませーん。

おっと、黒い心の暴発が。


*飛鳥*

ねえちょっと旦那さん、御覧なさいよ。

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かつて、飛鳥のF世界を震撼せしめた、縦の会総帥みしまさぶろーゆきお君の成れの果てである。ガーゴイルになっちゃった! キャー!

後先考えずに、種族変更してみたのであるが、デメリットのほうが多かったぜ!

まず、軒並み装備が使えなくなった。対人世界に行くため、死亡時に保険がかからないブレス品を多用してたのが、ガーゴイル用に変成できないの! 秘薬低減のついた帽子とか、ブリ足とか、ヘイブンの初期スキルクエストでもらえるブレス品の数々、あれやこれやが全部アウトなの!

うわーん。おかげで、ほぼ裸状態。秘薬低減も足りぬ。どうしたもんだろうか。

仕方ないから、ガーゴイルであることを生かして錬成スキルを移植した。102→109まで上がった。何がしたいキャラなのか、さっぱり分からぬ。

さぶろーの売りは、頭頂に凛々しく聳え立つ一本角のみ。これで頭突きすると、首がもげて死ぬと思うの。

まあ、生首残してあの世に旅立つのも、縦の会総帥としては正しい死に方だと思えなくもない。
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2009年10月27日 (火) | 編集 |
ウルティマ・オンラインは米国生まれのゲームである。

かつて、ゲーム内の基本言語は英語であった。コマンドも英語で言わねばならなかったし、アイテム名は英語表記だったのだが、急速にローカライズ(日本語化)されてきている。

パッチがあたると、アイテムが急に日本語に変わるもので、古くからUOをやってる者は混乱する始末。慣れてしまえば、なんということもないのだろうけども。

大和でMLボス討伐の戦利品を分配していて気がついたのが、ボスからとれる素材の一部が日本語になっていた。

曰く、「腐敗物」。
曰く、「粘液」。
曰く、「病毒」。

なんちゅー、直訳ストレートなアイテム名であろう。いやーんな感じ。飛鳥のあたくしの自宅には、腐敗物、粘液、病毒が数百個の単位で貯蔵されているの。とっても、いやーん。

しかし、ML装備には、これらの素材が必要なアイテムがある。病毒や粘液、腐敗物で作られる鎧とか、想像すると大変に気持ちが悪いのであるが、瘴気を除去して鎧に仕立て上げるエルフの技術力──と考えれば、エルフ族の偉大なる力を実感できようというもの。

技術が未熟で、品性下劣な人間族が、そんな素材で鎧を作った日には、こんな戦士ができあがるに違いない。

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UOばりの日本語化すると、「月の戦士鎧セット」。まさに、病毒、粘液、腐敗物って雰囲気が放射されていて、まばゆいばかりの禍々しさは、どうであろう。聞いたこともないような、恐ろしい特殊能力を秘めているに違いないのであった。
2009年10月24日 (土) | 編集 |
*飛鳥*

可もなく不可もなく、なにほどのこともなく。


*大和*

どうしたわけであろう。儲かっているの。

エプロンが出るわ、クリリンが出るわ、高い髪染めが出るわ、早くも分配金が1000万に届こうかという勢い。とはいえ、片端から使ってるので、ちっとも残ってないのであるが。

なんにしろ、大和のキャラは装備がないから、買い求めねばならぬ。それにしても恐ろしきは錬成スキルである。

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こんな感じのリーフブレードが、200万で売っていた。錬成スキルが入る前なら、目の玉飛び出るような額がついたであろう品だが、いまや200万。即購入。にやにやした。

ところが、次の日、違う店に行ったら、同じプロパティの品が120万で売っていて、顎が外れた。もはや武器は使い捨ての時代になった。

装備に己の銘を入れて陶然としたり、俺の俺による俺のための装備てなことを考えると興奮しちゃう、自分自身を愛してやまない変態野郎以外は、錬成スキル上げる意味もあまりない気がする。

ああ、俺ってどうしてこんなにすごい人間なのかなあ。とある知人が、みんなに聞こえるようにつぶやいたときに背筋に感じた寒気は、いまでも忘れぬ。三郷市在住のやまざき君、元気かなあ。というのは余談という言い訳の脱線。

そんなこと言いながら、飛鳥で錬成修行しているあたくしは、もちろん変態野郎なの。自分のことが大好きなの。助けてー、誰か助けてー。キャー。

目下の悩みは、大和で戦士を作ろうと思うのだが、一から装備一式とパワスク、ステスクを揃えるよりも、明らかに飛鳥から一人転送したほうが安上がりなのよね。Ayaseあたりを送り込もうかしら?

誰か、転送トークンください。
2009年10月22日 (木) | 編集 |
友人のでゅおさんが所属する劇団「シアター ナノ.グラム」の公演に行ってきました。

タイトルは「ラセンカイダン」。

公式ページは、こちら。
シアター ナノ.グラム (http://www47.tok2.com/home/nanogram/)

でゅおさんは裏方の制作で参加しており、舞台には立たないとのことで、ちょっと残念。ハンドル握ったときの人格豹変ぶりは、演劇に向いてる気もするんだけどなあ。ムハハハ。

でゅさんのパワーで予約席を都合してもらい、ありがたやありがたや。130席ほどの劇場は、あっという間に、ほぼ満席。初日からすごいなあ。

とある会社の前社長は、車の事故で亡くなった。その一周忌での出来事。社長の幽霊が出るらしい……。そんな噂に怯える人と、気にもしない人。実は、その噂を流している人。作り話だったはずだったのだけれど、あれ……あれあれ……。愛憎どたばた劇が思わぬラストを呼び込みます。

あたくし演劇は初鑑賞。目の前で俳優さんたちが動く迫力は、独特の雰囲気があっていいものですね。見ている観客も、ダイレクトに感情を刺激されるというか、劇に参加している感覚になってきて、不思議な陶酔感が残りました。

とても面白かったよ!

25日の日曜日まで、東京・恵比寿エコー劇場で公演とのことです。当日2800円ですが、今ならでゅおさんに無理を通して前売り2500円で見ることも可能か?!
2009年10月19日 (月) | 編集 |
*飛鳥*

前世からの因縁かしら。それとも愛かしら。いつも、彼に出会うの。きゃっ。

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Fで、この状態で平然と掘り続ける人って普通じゃないやろ? と思うのだが、どうであろう。


*大和*

ドラゴンを倒しに行こうと誘われたの。アビスダンジョンにいるドラゴンだというの。

どんなドラゴンなのかしら。すてきなドラゴンだといいな。きゃっ。

心躍らせてアビスダンジョンにもぐりこんだところ、待ち構えていたのは、こんな化け物であった。

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ぬあああ、でかいわあああ。

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こんなどでかいドラゴンが、ばっさばっさと飛びながら襲ってくるの!

画像で、ドラゴンの周囲に骨が散らばっているのは、みんなの死体。死体が消える間もなく、順番に新たな死体を生産する。常に誰かが死んでいる。

噛み付きはもちろんのこと、空から隕石が大量に降ってくるわ、地面が燃え出すほどのブレスを吐くかと思えば、冷気攻撃なのか、青いわっかのブレスも飛ばすわ、多彩な謎の攻撃を繰り出され、死屍累々の地獄絵図。

張り付きの戦士など、武士120のフェイントを入れていてすら、コンボで200超えのダメージが入るそうで、即死する。(注・UOではプレイヤーの最大HPは150)

メイジのあたくしも、もちろん一瞬で画面が暗転して、即死する。何の攻撃を受けているのか判断する余裕もない。

ついでに金銭の余裕もないのであって、わあい、保険金がいくら吹っ飛ぶやら。

くそう、こいつ相手なら戦士の方が楽しいぜ。飛鳥ならドラ特攻ハルと、ドラ特攻ロンソで遊べたというのに。ドラゴンはこうでないと面白くないよね。

2回も討伐して銀行を覗いてみたら、なけなしの全財産50万gpが、5万gpに減っていた。これからどうやって生きていけばよかろうか……。
2009年10月15日 (木) | 編集 |
*大和*

こっそり所属した大和のギルドは、なかなか活動的で、毎日ボス討伐に出かけているらしい。

あたくしが参加しない日に限って、高価なアイテムを入手しているようで、目の前で売上金を分配している。

あたくしが参加する日に限って、たわししか出ない。おまけにサイコロは一位で勝利するのだが、欲しいアイテムは何もない。仕方なく、たわしを掴んで取ってやった。飛鳥のときと変わらぬ引きの弱さ。大変に悔しい。

現在、大和ではまっているのは秘薬拾い。

UOでは、魔法を唱えたり、ポーションを作ったりするのに、秘薬というものが必要。普通は、NPCから購入するのであるが、地面にも落ちている。

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これを、あちこち拾い歩くのが、いわゆる秘薬拾いである。店から買えば金がかかるが、落ちてるものなのでタダ。無料。ロハ。これ以上ない財布へのいたわり。

秘薬を集める目的は、アルケミメイジのためのPOT作り修行。数千個の単位で必要なのだが、地面に落ちてるのは一個ずつ。おまけに、あたくしはUOA持ってないので、完全手拾いだぜ。

大和で居候させてもらっている、うさこさんの家は森の外れにある。少し歩けば、深い森が広がる。秘薬は森の中によく落ちている。小一時間、森の中をうろうろほっつき歩いて、各50個ずつの秘薬を確保。ついでに羊の毛も20個刈ってきた。

キャー、この暇さ加減といったら!

どういうわけか、この秘薬拾いには中毒性があって、いったん始めるとやめられぬのよね。そんなプレイで、今日のUOが終わるのであった。


*飛鳥*

錬成100.9まで上がった。つらーい。

一枚6000gpのドラ鎧屋を営んでいるあたくしは、毎日少しずつ鉄を掘る。この作業も中毒性が高く、気がつくと30分くらいは平気でたっている。

Fブリ近くの山脈で掘っているのであるが、いますな、怪しい人が。

リコール音がしたかと思うと、あたくしの真横にキャラが出現。F=フェルッカは対人可能な世界なので、あたくしは度肝を抜かれて動きが止まるのであるが、そやつは恋人のようにぴったり寄り添った状態のまま平然と掘って、飛んでいくの。

同じ場所を掘り場としてるらしく、30分のうちに3度も密着掘りを経験した。大変、心臓に悪い。

お主、全自動神憑りトランス状態で掘ってるやろ、むきい。
2009年10月13日 (火) | 編集 |
みなのもの、連休はいかがおすごしだったであろうか?

という書き出しを前にもやった気がする。あたくしは、仕事だったの。毎度のことながら、本を買いまくっていたら、お小遣いが底をついた。15日が給料日のあたくしは、今が一番厳しい時期なのである。

お前に金のある時期があるのかよ、と笑うやつには、死兵と化して攻めかかるので注意されたい。

いま、「軍艦武蔵」(手塚正己 / 新潮文庫)を読んでいる。六年前に出版されていた本が、あらためて文庫版になったものだそう。

大和と並んで、旧日本海軍を代表する巨大戦艦武蔵の誕生から撃沈までのドラマ。柳田邦男の「零戦燃ゆ」にも似た、抑揚をおさえた文章が心を打つ。

この本に談話を提供した生存者は、ほとんどの方が世を去っているという。爺さんたちの声が、重唱となって聞こえてくるような手ごたえのある本は、おそらくこれが最後なのではないかしら。

こういうものに興味のある方は、ご一読を。って、自分もまだ読んでいる途中なんですけども。

そして、軟弱なあたくしはaikoの曲など聞いて心を癒す。「カブトムシ」だよね。いいよね。

■カブトムシ / aiko


とりとめのない日記で、すまねえ。
2009年10月09日 (金) | 編集 |
あたくしがUOを始めたのが、2001年の10月。UOで初めて MOMO's Room[M*R] というギルドに入ったのが、たしかパブリッシュ16が入る前後。

それがいまや、パブリッシュ61ですって。ずいぶん長く続けているぜ。そりゃあ加齢臭が漂う歳にもなろうというものだよ。

パラリを見ていたら、こんな修正項目があった。

◎キャラクタースタチューメーカーに攻撃を行うと、台座を離れて襲って来るバグが修正されます。

キャー、直したらあかんやろ、直さんといてー。残しといてー。

どうせなら、スタチューが勝手にFに出撃して対人家を攻撃したあげくに、ギルドハウスをバグボール封鎖するバグとかないものだろうか。家の前でずっと、「*ジークHAGE!*」って叫び続けてたら、たまらなく鬱陶しくていいよね。

最近のUOは、飛鳥でもっぱら錬成上げ。99になったけど、そろそろ気力が尽きそうなの。

大和のキャラを起こしてアルケミ上げ。秘薬の確保が面倒で、気力が尽きそうなの。こっそり、ギルドに所属してみました。

どっちも、ほぼ週一活動で、今のところUOは低調。
2009年10月06日 (火) | 編集 |
■「関ヶ原」 司馬遼太郎 / 新潮文庫

あたくしごときが何を書くこともない司馬遼太郎。以前、図書館で借りて読んでいたものを、やっぱり手元に置きたくて文庫で買い求めました。大河ドラマ「天地人」にも関わりがありますしね。

巷では、歴史好き、戦国好きな女性が増え、秋葉原には戦国カフェなんぞというものもできたと聞くの。

あたくし一生、趣味を同じうする女性とは出会えぬと覚悟していたのですが、これは、おねーさん気が合うかもー、な人との出会いのチャンスがあるやもしれぬ。などと、つい、希望と欲望が芽生えてしまうのを抑えきれぬ。

ただ、ちょっと検索すると、「戦国、歴史、BLを愛する女です」のような自己紹介があふれており、待て、お前らちょっとまて! やっぱり、そういうことなのか? と、目が血走ってしまうのも抑えられぬ。

ひとくちに戦国好きといっても、人によって悦びを刺激されるポイントが違うのは当たり前で、彼女らの視点もいまさら否定はできぬ。男にもいろいろいるのだから、女性もいろいろいるのが道理。それでも、最後の最後では、やっぱり話が合わないかも……という気がしてならない。

あたくしの場合、戦国は単純に殺し合いで、死の物語だと思うので、血なまぐささを感じさせぬ戦国は、どうにも戦国と認めがたい。だめっすだめっす。

せっかく戦国マニアという趣味で接近しておきながら、最後で距離を感じるというのも虚しさ増大しちゃうのよね。いや、接近していると感じたのが錯覚なのかしら。わあ切ない。

あたくしは古いタイプの戦国マニアだから、次のような場面こそ興奮する。血のたぎりである。ぎゃおー。

島隊の突撃はすさまじく、ほとんど倍以上の人数の黒田隊の前隊を苦もなく蹴散らした。黒田長政も必死に自隊を督戦したが、一度崩れ立った足を踏みとどまらせようがなく、ついに潮の引くように退却した。

かわって田中吉政隊三千が島隊の前面にあらわれ、島隊に息つくゆとりもあたえずに攻め立てたが、左近は鉄砲と騎馬の突撃をたくみに繰り返しつつ敵に打撃をあたえ、やがてみずから槍をかざして騎馬隊の突撃を敢行した。

この突撃が尋常のものでなく、士卒の顔はことごとく発狂寸前の相を帯び、死を恐れる者が一人もいない。

「相が、そろっている」

田中兵部大輔吉政は、馬上でおぞ毛をふるった。(中略)

三成はこの一戦の意義を士卒に説き、士卒の心にしみこませ、そのうえで戦列を展開させているにちがいない。

(さもなければ、こうも人相がそろわぬ)

吉政はおもった。


あたくしたちは、合戦のイメージといっても、テレビや映画で見た他人事のようなそれでしかない。鎧兜だって、ほとんどの人は博物館に飾ってあるものしか見たことがない。

それどころか、喧嘩だってろくにしたことがない平和な時代の現代人。数千人、数万人が相手を殺すために激突する合戦の緊迫感は、いくら戦いの描写を巧緻に描かれても、皮膚感覚にないのだからイメージが喚起されない。

だけど、顔なら分かる。戦国の昔とそう変わらずここにあり、あたくしたちも生まれてからずっと見続けてきた人間の顔なら、辛うじてイメージができる。

槍や鉄砲という武器の強さでも、戦術の妙でもない。死を決して、同じ形相をした人間が、ひたひたと押し寄せてくるのだ。面(つら)が攻めてくるのである。怖い、と思う。

そして、受け手の田中吉政の視線で攻め手の顔を描写し、それでもって兵の勢いと緊迫感を想像させる司馬遼太郎のうまさにも、あたくしは唸ってしまうの。さすがだとしか言いようがない。

また、大谷吉継が、小早川秀秋の裏切りを知り、瞬時に敗北を悟って死の覚悟を固めた場面も、止まらないぜ。

即座に下知して退き鉦をたたかせ、兵をまとめて、前面の敵の藤堂・京極勢をすてて、たったいま右側面にあらわれた小早川の大軍をふせごうとした。名将という言葉を、この戦場の敵味方の諸将のなかでもとめるとすれば、大谷吉継こそそうであろう。かれはこの最悪の事態を想定してあらかじめ陣形に伸縮をもたせ、とくに平塚為広、戸田重政の両人に、その場合の先鋒をつとめるよう意をふくめてあったし、また鉄砲隊四百を藤川の西岸に伏せてあった。

その埋伏鉄砲隊が中山道の道路を横切って山ぎわへ躍進し、くさむらに四百挺をならべて、横撃してくる小早川勢に急射撃をあびせた。

吉継は輿をその硝煙のなかに乗り入れ、采配をふるって、

「死ねやぁっ、死ねやぁっ」

と下知し、さらに声をふりしぼって、

「やれ金吾なる者は、千載の醜名を残したぞ。裏切り者を崩せ。突けや。雑兵雑輩には目もくるるべからず。いちずに金吾が旗をめがけよや、金吾を討て、金吾を地獄におとすのに牛頭馬頭羅卒の手をば借りるべからず、汝らが地獄の羅卒のさきがけをせよ」

と、喚き叫びつつ敵陣へ乗り入れてゆく吉継の声、姿は、鬼神が憑り移ったかのごとくであった。大谷勢は、死兵と化した。


ハアハア。

さて、大谷吉継が発した「死ねやぁっ、死ねやぁっ」という叫びですが、これは敵を罵っているのではありませぬ。味方に向けた、最後の鼓舞の言葉です。それも「死ぬ気でかかれ」なんぞという生易しいものではなく、ここで死ねと命じている。

なぜ、味方に死ねと命ずることが士気を高めることになるのか。あたくしは、これが、この時代を理解する、一つの核なんじゃないかと思うんです。「想像もつかない」なんて人は、戦国好きと認めたくないのですが、どうでしょうか。

って誰に聞いているのか分からない文章で、締め。
2009年10月05日 (月) | 編集 |
■「稲川淳二の恐怖がたり」 稲川淳二 / 竹書房文庫

稲川淳二の恐怖がたり、というシリーズ本が出ています。現在のところ、崇り、憑く、怨み、呪い、蠢く、いやなサブタイトルのついた全5冊。稲川淳二が毎年、夏に行うライブ、ミステリー・ナイト・ツアーでの語りを文章化してまとめた本のようです。

ただ、最新巻でも2005年発行と古いので書店では手に入りません。ぼくはブックオフでこのシリーズを見つけ、2年くらいかけてようやく5冊集めました。こんなのが出てるなんて知らなかったのよね。

昨今、書店で流通する書籍は膨大な数にのぼり、本の回転が、おそるべき早さになっています。面白そうだな、でもお金ないから次に来たときに買おう、なんて思ってると、次のときにはもう撤去、返品されているなんてこともしばしば。

名の売れた大御所の本ならば心配はありませんが、こういうマニアックな本は、見つけたときに買わないと買い逃します。重版なんかされませんしね。

かくして読書好きは、短い間隔で書店を偵察しなきゃならない運命に陥るのだぜ。落ち着かないのが困りもので、古書店は安く本を買うというよりも、買い逃した本を探す場所となってます。

さて、このシリーズ、稲川先生の語り口を、そのまま文章にしたようなところがあり、ライブの冒頭の

あ───、今晩は! ちょっとキツメやね。席が狭くてごめんなさい。
大変ですよね───。大変だけど、せっかくこの中にきてくれたんで、私も根性入れてお話ししますんで、どうかよろしく───。


なんて挨拶まで、文章になってる。
「ええ、そうなんですよね………………………」
とか、
「そこに、いた──────────」
のようなのが、やたらと多い。

ページのスペースに、「線と点ばっかりで、ちっとも怖くない」なんて、前の持ち主が書いたらしい鉛筆書きが残ってました。ハハハ!

でも、この文章、稲川淳二の好きな人には分かるんだけど、先生の口調そのまんまなんですよ。だから、この文章を読んで、先生の口調と表情が脳内で蘇る人には、たまらなく面白い。ただ、怖い話を読みたくて買った人には、なにがなんやら分からない本になってるんです。

これね……稲川マニア向けの本なんですよ、ええ──。

とりたてて紹介するほどの本でもないんですが、鉛筆書きの文句が面白かったので、つい。
2009年10月04日 (日) | 編集 |
夜勤だった。中秋の名月を愛でながら、のんびりと午前4時すぎに帰宅。そして月曜日は、ごく普通に日勤なのである。

いえーい、どうやって生活リズムを保てというのだ。だが、あたくしの勤める会社は、新型インフルエンザにかかっていても、「顧客にばれないように現場に行け」などと平然と言い放つ、バイオテロ支援・悪の枢軸会社であるから、社員の健康などつゆほども考慮せぬ。

帰宅して、ごはん食べて、風呂入って、ちょこっとネットで漂えば、お外はすっかり明るい午前6時。これから寝ると起床は夕方近くになり、月曜日からの生活が破綻するのは明らか。このまま寝ないで夜まで頑張り、強引に敵中突破を図るべきであろう。

ホホホホ、さすがは孔明の再来と恐れられたあたくし。おそるべき知略を発揮した。

高笑いしたら気分が良くなって、ついビールなどをぐいぐいとあおってしまい、あらやだ、たちまちまぶたが重くなったわ。おおお、仲達、謀ったな!

やむをえず、自転車で外を走り回る。が、眠い上に酔っ払いなので行き先が決まらず、闇雲に走っているだけで、気がつくと近所をぐるぐると、もう5周もしていて明らかに不審人物。

これは幸田露伴が仕掛けた奇門遁甲八陣図にかかった加藤の様であろうか? あぶねえ、もう少しで死門にはまるところであったわ。おのれ加藤保憲! 式を打て! 式を打て! なんだかよく分からない。

意識朦朧のまま、お昼前から午後4時まで千葉市内をあてどもなく彷徨うあたくし。いつの間にか本屋に立ち寄ったとみえて、司馬遼太郎の「関ヶ原下巻」を手に持っていた。

ふらふらしながら家にもどり、濃く淹れたお茶で目を覚まし、大河ドラマを見終えたところ。直江兼続って、直江状のときが華やかさの絶頂で、その後は、地味な生き方をした人だと思うのだが、大河ドラマとしてはどう盛り上げるつもりなのだろうか。

それにしても、いくら同郷の与板衆の面々とは言え、家臣一同が揃っている広間に兼続が現れたときに、家臣一同の前で、
「兼続、きたか!」
って堂々と呼び捨てにするのは、どーなんだべ。家老直江兼続の言葉は、上杉景勝の意を体しているわけだから、公の座では、きちんと「ご家老」と呼ばねば具合が悪いのではなかろうかと、いらんことで勝手に気を揉むあたくし。

同期だけど出世に差がついちゃって上司になったやつを、会社で、「おう、山田太郎、きたか!」なんて呼び捨てたら、まずかろ?

こういう、いちいちドラマにいちゃもんつける尻の穴の小ささが、女性があたくしを好いてくれない理由だと思うの。しょーもないこと気にする細かい男なんて、きらい! もっと懐の大きい男がいいわ!

あーーーーん、許して許してええええ。

意識が途切れる寸前で書き流しているのだが、なにやら急に、ハードディスクから、ゴゴゴ、キュルキュル、キキキキキてな、明らかにまずい異音がしはじめて、眠気が遠のいたりしている。

ひとまず、寝る。
2009年10月02日 (金) | 編集 |
■「手紙」 東野圭吾 / 文春文庫

両親を早くに亡くした兄弟は、兄が親代わりとなって働き、生活を支えていた。兄は、学力優秀な弟を大学にいかせるべく、進学資金を貯めようと必死に働いた。しかし、無理がたたって身体を壊してしまう。これからの生活と、進学資金をどうすればいいのか。

思い余った兄は空き巣に入って金を得ようとするのだが、その家には人がいた。もみ合いが、勢いあまり、人を殺してしまう……。

殺人の罪で服役した兄からは、定期的に手紙が届く。どうしているか、元気か、たまには手紙をくれよ──と他愛のない、世間から切り離されている分、お気楽とも思えるような兄の手紙。

しかし、弟はそれどころではなかった。「殺人者の弟」と後ろ指を指されて、友人を失い、アパートを追い出され、まともな就職口はない。失意の生活を送っていた。

それでも必死に生きていると光は差すものだ。ひょんなことから誘われてバンドのヴォーカルになった。ステキな女性と恋もした。

うまく歯車がかみ合いだしたと思う途端、「殺人者の弟」というレッテルが夢をぶち壊す。何も残らない。弟の手は何もつかめないのだ。兄がいるせいで。弟は、兄から届く手紙が、たまらなく疎ましくなっていく──。

映画化もされた小説です。あたくしは映画を先に見てから小説を読んだのですが、なんとも難しいですね。重いテーマであることも一因でしょうが、どうにも、すっきりしないもやもやが心に残ります。

この小説では、仕事先の社長、平野との出会いが重要な場面になっています。弟の考え方を大きく変える人物です。

「差別されて腹を立てるなら、兄を憎めとおっしゃりたいのですね」
「君が兄さんのことを憎むかどうかは自由だよ。ただ我々のことを憎むのは筋違いだと言っているだけだ。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる──すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」
淡々と語る平野の顔を、直貴は見返した。これまでにも不当な扱いを受けてきたが、そのことを正当化する意見を聞くのは、これが初めてだった。


差別は当然だ、と平野は言う。大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身をおきたい。特に、凶悪犯罪を犯したような人間とは、間接的にせよ関わりあいにはなりたくないものだ。今の君は、お兄さんのせいで、社会性という大きなものを失った状態なのだ。そして、それも犯罪に対する罰のうちなのだ、と。

しかし、と平野は続ける。

「本当の死と違って、社会的な死からは生還できる」平野は言った。「その方法は一つしかない。こつこつと少しずつ社会性を取り戻していくんだ。他の人間との繋がりの糸を、一本ずつ増やしていくしかない」


なるほど、と思うの。対面する相手が殺人者の家族だと聞いて、まったく心が揺れないというのは嘘でしょう。安全を──距離をおくこと──を選ぶのも無理がないことなのかもしれない。

でも、心に引っかかるものがあるの。これは何だろう?

それが明らかになったのは、物語が進んでから。 まだ読んでいない人のために詳しくは書きませぬが、全てを共に背負ってくれる女性と出会うことができた弟は、彼女と家庭をもちます。ところが、差別は家族にまで広がっていく。

悩む弟に平野は、「差別は当たり前だろうね」と平然と言う。

「厳しい言い方をすれば、君はまだ甘えている。君も、君の奥さんもね。(中略)逃げずに正直に生きていれば、差別されながらも道は拓けてくる──君たち夫婦はそう考えたんだろうね。若者らしい考え方だ。しかし、それはやはり甘えだ」


みなは弟に関わりたくないのだが、道徳が差別をためらわせる。その負担を感じさせることは、逆差別だ。 君は、他人に負担を感じさせる存在なのだ。……という意味のことを平野はいいます。

ウーン。平野の言葉にも一面の真理はあるのでしょう。しかし、ここはウンと同意しかねる部分です。

ここに至って、あたくしの心の引っかかりが何だったのか、はっきりしました。

これは道徳の問題ではないと思えるの。平野が言った「君は社会性という大きなものを失った状態だ」という言葉がカギでした。「社会性」が、あたくしにとってのキーワード。

あたくしが敬愛する禅僧、南直哉は、とあるテレビ番組でこう言っています。

「共同体や社会が何かというと、好きな人だけで集まってやっていこうというものではない。人間というのは根本的に共同化されている。誰もが他者の存在を前提にして、自分のありようというものを考えなければならない。それが共同性の根幹だ」

この社会には、あらゆる人間が混淆して生きている。誰にでも、社会から追い出したくなるような価値観の対立する相手はいる。しかし、追い出すことはできない。

これは方法としてできないというのではありません。追い出そうとしたときに、社会は、人間は壊れるのだという共同性の本質的な話として、できない──してはならない──のです。

常に、他者と、場合によっては反社会的な存在とも共存しなければならないのが社会。だからこそ、妥協点を探ることに全力をつくさねばならない。それが共同性、社会性なのだと、あたくしは理解しています。

そして、あたくしたち人間は未熟で、どんなに平穏を願おうと、必ず一定の割合で罪を犯す人は出てくる。自分だって、絶対に罪を犯さないと断言できない。 故意でない、不注意からの事故だって罪の一つなのです。

とすれば、社会は過ちをおかした人たちをどう処遇すべきでしょうか。まして、この小説の弟のように、本人が罪を犯したわけではないのに、家族であるということで、白眼を向けられる人たちをどうしたら?

あたくしには、「お前は甘い、もっと苦しまなければならない、それも家族が犯した罪の報いなのだ」という意見も否定できません。この意見を支持したい人々は少なからずいるはずだから。

しかし、自分たちの扉は安全のために閉じておいて、弟だけに扉を開かせる努力をさせることが社会性なのだろうかと、強い疑問を持ちます。 社会性の問題だからこそ、弟の甘さを指摘して終わらせることに違和感を感じるのです。

社会性とは、どのような状況であれ、一方的なものではないはず。

そうであれば、あたくしたちも荷を背負わなければならないのではないか。手を差し伸べることによって安全が揺らぐかもしれないことに怯えながらも扉を開く、ある意味では苦渋の選択が必要となるのではないかと思えてなりません。

ただ、平野の意見も社会には必要です。それは決して、反面教師にするとかのようなネガティブな理由ではありませぬ。先にも書いたように、平野の考え方を支持する人たちがいる。その必要には、意味があります。

つまるところ、一人一人の人間が完結している必要はない。補い合い、ときには対立の中での均衡で、社会全体のバランスがとれていればいい。というよりも、多様性の保証こそが、唯一の社会のバランスの取り方なのだろうと思います。

昔から言う「捨てる神あれば、拾う神あり」でしょう。

だから、あたくしは甘いかもしれませんが、平野の意見には与できませぬ。

ただし、ここには「本当に拾えるのか?」という厳しい自問がなければならないでしょう。自分ひとりなら、まだいいでしょう。しかし、妻や子供、自分の家族のことを考えても、それでもまだ、手を差し伸べることができるだろうか? 本当に?

この苦い問いこそが、この小説が難しい、一筋縄でいかない理由だと、あたくしは思うのです。