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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2008年06月26日 (木) | 編集 |
あまりに隠居状態なのもどうかと思い、ネクロメイジに魔法ダメージ山盛り設定を試すことにした。

TAF笠 +12
マギペンダント +5
ネクロ腕 +10
レシピ足 +10
リング +7
ブレス +9

手持ちの装備だけで、53確保。抵抗は60平均で、秘薬低減は85かな。秘薬低減を70まで下げれば、+11のリングが使えて、57。胴の防具が弱いから、Bルニで作ろうかしら。

前に持っていたクリリンは、資産が底をついたときに売ってしまったので、今はない。クリリンが手に入れば、魔法ダメージ66まで伸びるけど……。資金が足りないのう。

クリリンで1500万。Bルニ3個で750万。EI120と、霊話120のパワスクも欲しいなあ。合計でいくらだ?3000万くらい? それだけかけて作っても、とくに使うアテがないのが、業の深いことであるよ……。

ということで、たぶん中途半端に終わるのであった。ウハー。
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2008年06月24日 (火) | 編集 |
現場に到着して、さて仕事を始めようとしたところ、お客さんが不審そうな顔をして出てきて、
「あれ、お願いしたのは明日ですが……」
と言うの。

慌てて手元の「作業指示書」を見るが、間違いなく、ここに行けと書いてある。が、客が明日だというからには、しょうがない。「失礼しました、あらためて明日伺います」と伝えて退散した。

会社に、どうなっちょるのかと電話した。今の現場はたしかに明日の間違いで、今日は別の現場に行く予定だったという。当然、そちらの顧客から、「まだ来ませんか」というクレーム到着していた。

その責任は、ええええ、ぼくが負うのですか。

じゃあ、この「作業指示書」が、ぼくの手の中にあるのは、どういうわけで? と質問しましたところ、
「そりゃ、お前、自分で間違えて持っていったんだろう。確認しなきゃだめだよ」
傲然と部長がおっしゃいますの。実に、摩訶不思議だといわざるを得ない。

うちの会社では、朝、各班ごとに机の上に出ているファイルを持って出ることになっている。ぼくは、いつもどおりに机の上に準備されていたファイルを取った。どうやったら、明日の作業分のファイルを持ち出すなんてことができるのですか。

「寝ぼけてんじゃないよ。仕事なんだから、しっかりしようよ」

まいったぜ、こりゃハハハ。しかも、会社に戻ったら、社長直々のお目玉を喰らう。踏んだり蹴ったりだぜ、ハハハ。

他の社員に愚痴ったら、「ああ、俺もやられた」と、口を揃えて言うの。最先任の先輩など、現場を5か所もたらいまわしにされたうえに、全部、指示が間違っていて、あげく始末書を書かされたというから、夢のような体験であったろうね。

「そういう意味じゃ、部長の指示を疑わずに鵜呑みにしたっていうミスがあるよね」

と言い合い、みんなで自虐的にハハハハと笑って、解散した。

社長は、部長に全幅の信頼をおいていて、「ヤツに任せれば間違いはない」と惚れこんでいる。たしかに、失敗は部下に押し付けるから、本人の間違いは少ない……ように見える。

まるで、狙撃成功率99.73%のゴルゴ13のようだ。

ここでわたくしは、あっ、と気がついた。考えてもみよ。99.73%などという、常軌を逸した成功率がありえるだろうか? ゴルゴは超人なのだという説明は、わたくしの心に響かない。それを言うなら、仕事成功率99%のうちの部長だって超人ではないか。どこかに、からくりがあるのだ。

うちの部長の場合で考えてみよう。10の仕事があったとして、実は3か4のミスがある。が、それでは評価が下がってしまうから、ミスを2つか3つ、部下に押し付ける。すると、ミスは10のうちの1つということになる。なんという、華麗な手妻。

ゴルゴもこの手を使っているに違いない。実は、ゴルゴも狙撃を失敗する。当然のことだ。だが、その失敗は闇に葬られている。失敗を切り捨てれば、成功率が上がるのは必然だ。

「ゴルゴに依頼したつもりが、そいつは偽物だった。寝ぼけてんじゃないよ、しっかり確認しようぜCIA」

とでもしておけば、誰も文句は言えまい。ゴルゴの氏素性は、まったくの謎。本物と、寸分違わずそっくりな偽物を、どうやって見分けるというのか?

ゴルゴの狙撃は、他の人間にはとうてい成功するの見込みのない、難しい仕事だ。だが、これは、ゴルゴは一人であるという思い込みが、目くらましになっている。発想を転換してみよう。一つの標的を十人のゴルゴが狙っていたら、どうだろう。十人のうち一人が、狙撃を成功させればいい。

仮に、これをゴルゴ・システムと呼ぶことにしよう。

依頼を受けたゴルゴ・システムは、世界各地にチームを送り込む。一つのチームは、複数人のゴルゴが組んでいる。ミッションの難易度によっては、二十人かもしれないし、百人かもしれない。外見は、ほぼ全員が同じ。整形なのか、映画「ミッション・インポッシブル」の、イーサン・ハントのように、特殊なマスクをかぶっているのかは分からない。

が、どうしたって中身は違うから、やたら女との絡みがある回、女に見向きもしない回、ゴルゴのセリフが多い回と、まったく喋らない回というような違いが出てくる。

影武者ではない。デューク・東郷という「個人」は存在しないのである。いるかのように、装われているだけ。だから、各国の諜報機関がゴルゴの秘密を探ろうとしても、霧に包まれたかのように分からないのだ。

──という妄想で現実逃避をしながら、今日も、わたくしは生きています。
2008年06月14日 (土) | 編集 |
赤モヒカンヴァンプ騎士として、ドゥーム対岸で活動しているぐろたであるが、飽きた。「もう、飽きたの!?」と驚くヤツは、わたくしのことを分かっていない。

どんな話をしてても、いつの間にか自慢話にいきつく人がいる。同じ具合に、分かって、わたくしを分かって! と子犬のような目で訴えるが、「誰もオメエの話なんか聞きたかねえよ」と、しこたま腹を蹴り上げられて、キャインキャインと撤収する次第。

ヴァンプは、心を燃えたせない。楽すぎるぜ、この仕様は。プレイヤーをダメにするぜ。ハナからダメなわたくしが操ったら、立ち直れないどん底に落ち込むぜ。やめるぜ、やめるぜ、即刻やめるぜ。

で、どこだかのブログで見つけたのが、聖騎士様のスキル構成。武器、タク、盾、レジ、瞑想、騎士の6伝説。回復は、騎士ヒール頼みだから、FC4/CR5の高速詠唱にする。あああ、楽しそう。

作りたいなあと思うのだが、ネックになるのが、ちょうどいいアクセを持っていないのだよね。青腕輪を使って、FCついた盾を持つとして、FC/CR2/命中/回避/ダメージというリングが必要。これっていわゆる、神アクセってやつじゃないすか? 数千万から億コースじゃないすか? ウハー!

それとも、博物館盾を使うべきだろうか。そうすると今度は、命中回避が不足する。うーん。

足りないのはリングばかりでなく、タク、レジ、瞑想のパワスクが必要なのだった。全財産はたいても揃わないわ。そもそも全財産といっても、500万しかない。

話にならないわ、ウハー。
2008年06月12日 (木) | 編集 |
クリーンアップブリタニア2008が開幕した。

わたくしも、いらないアイテムを懸命にブリテインに運ぶ。アイテムを1個1個、交換用NPCにドロップする、なかなか終わらない作業に堪え性のない神経が悲鳴をあげる。

つらいわ! 面倒だわ!

全て献納し終わったあとは、家のストレージが700も増えた。700回も、ドロップしたわけで……。

そのおかげで、ポイントは約50万。30万ポイントで、アクセサリーのセットを貰う。残った20万を売るか、次のパブリッシュで出るという、メイジセットなるアイテムのために待機させるか、迷っている。

20万ポイントなら、AF1個(1万ポイント)が50万gp前後の相場だから、換算すれば1000万gpになる計算。売ってしまいたい欲望が、ふつふつと。

まだ持っていないエセ動物を買ってコンプするという、意味のない行動に走りたいぜー。
2008年06月08日 (日) | 編集 |
すっかり、狩りをする元気は失せて、半隠居の日々。

主に、生産キャラで、バルク依頼をちくちくとこなしている。時折、対岸に出撃して、交換用のAFを集めているが、横殴りしかしていないので気力を使わない。

クリーンアップブリタニア2008は、ざっと計算すると、40万ポイントくらいはありそうな感じ。30万ポイントでアクセサリーのセットを貰ったら、余りは売るかなあ。内装品より、金がいいよね!

そうそう、UO6年半にして、初めてハイドスキルが100になったのだった。ステハイって、いいねー。
2008年06月02日 (月) | 編集 |
毎年、NHK大河ドラマは楽しみにしてみているのですが、「篤姫」はだんだん辛くなってきたなあ……。

とくに、小松尚五郎が気持ち悪くてたまりません。

篤姫と幼馴染だった、尚五郎。尚五郎は、篤姫に恋心を抱き、一度は結婚を決意しますが、時代の激流にのまれて、二人の運命は引き離されてしまいます。

篤姫は、将軍家定の御台所となるため江戸へ。薩摩に残った尚五郎は、小松家に養子に入り、妻帯して、当主となります。小松帯刀清廉。のちに薩摩藩家老となり、藩を切り盛りする人物です。

放送は、二人の別れから数回しか進んでいませんが、ドラマの中の時間では、数年が過ぎています。尚五郎が、密かに篤姫への想いを抱き続けている……のなら、若き日の淡い色合いの思い出となるでしょうが、そうではなく、実に生臭いのです。

尚五郎は、妻帯した後も、なにかと篤姫の様子を知りたがり、噂を耳にすれば、傍目にも分かるほどうろたえます。それで、周囲は「まだ忘れられないのですね」と察し、尚五郎は「馬鹿なことを言わないで下さい、とっくに諦めました」と強がる。

1日の放送では、篤姫の噂を聞きつけて心の揺れを抑えきれず、ついに、主君の島津斉彬に、「殿は篤姫様を利用したのですか!」と、私情まるだしの直言をぶつけました。公私の別を忘れるほどの執着。異常です。

篤姫のほうは、とうに自分の運命を受け入れて、強く生きる道を模索しはじめているというのに。尚五郎は、かつて心惹かれた女性への想いを断ち切れず、いつまでも振り回されている。強い女と、弱い男。なんだか現代の男女関係を思わせますね。

現代風な解釈で、物語を再構築することは否定しません。けれども、歴史の「大枠」まで作り変えてしまうのは、やりすぎだと感じます。

大枠とは、当時の人々の行動、様式を支配する文化や慣習のことです。たとえば、武士というもののあり方です。

武士道は、武士の道徳であり、処世術ですが、一面では、戦国の頃の、野犬のような荒々しさをもつ戦士を、「武士道」という型枠にはめこんで飼い馴らし、無闇に飼い主に噛みつくことのない、番犬としての「サムライ」に、しつける意図がありました。

また、当の武士からも、戦乱の世が去って太平の世となり、自らの存在意義を問ううちに、求道的な「武士道」が必要とされた事情もあります。戦士では、戦いの時以外は不要ですが、武士道を追究するなら一生かかりますからね。

いずれにせよ、幕末という時代には、行儀作法にやかましく、己を律することが武士としての心構え、生き方だというのは、疑問をさしはさむ余地もなく当然の道徳でした。もっとも、最下級武士の中には、あまりの経済的困窮から、脱落する者が出ていましたが……。

武士というのは、現代人から見れば、とんでもないマゾ野郎たちだったと言ってもいい。それが、あの時代と、武士階級だけが持っていた特徴だったわけです。まして薩摩武士は、薩摩隼人と呼ばれ、剛毅な気風をもっとも重んじた国柄です。尚五郎は、そういう土地の上級武士の家柄に生まれています。

だから、尚五郎が、篤姫に特別な想いを抱いていたならば、なおのこと、主君に向かって、「姫を利用したのか?」と、問うはずがありません。斉彬が、篤姫を利用していたら、どうだというのでしょう。「いくら殿でも、篤姫様を大事にしないのは許しませんよ!」とでも、詰め寄るのでしょうか。できるはずがありません。斉彬が真実を答えるとも限りません。そして、斉彬の答えが、イエスにしろ、ノーにしろ、尚五郎にできるのは、黙って受け入れることだけなのです。

とすれば、この問いは結局のところ、「わたくしは、未だに篤姫への想いを断ち切れておらず、未熟で、粘着質で、ストーカー一歩手前なんです」と、告白するだけの結果になります。尚五郎ほどの立場の人物が、自らを辱めるだけの愚問を発するでしょうか。また、発するような思慮の足りない人物であれば、幕末の難しい時期を担当した家老として、後世に名を残すでしょうか。

ドラマに話を戻せば、なぜ誰も、尚五郎を諌めないのか不思議でなりません。そろそろ斉彬は、おまえの感情は妄執であると一喝すべきでしょう。妻がありながら、その悩乱はどうしたわけだ、と。

答えは、「篤姫」が、現代の恋愛至上主義の風潮を取り入れた、青春ドラマだからです。だから、忘れられぬ恋に惑い、藩主の批判にまで及ぶさまは、武士道に外れた行いと断罪されないどころか、みなが理解を示すのです。だって、恋愛って大切じゃん! お前の気持ち分かるぜ、恋は辛いよな! というわけ。だから、何度も何度も、尚五郎と篤姫の心の交流と、別れの辛さが描かれるのです。

ぼく自身はおっさんのくせに年甲斐もなく、aikoのファンで、恋愛がなにより大事の感覚は大好きだったりするのですが、大河ドラマでやられたら、たまったもんじゃありません。

妙に感性が現代的なのは、尚五郎だけではありません。家定公にしろ、篤姫にしろ、どうみても現代人です。家定公なんぞ、寝所で篤姫に、「うつけじゃないけど、うつけの振りをしていたんだ」と告白しておきながら、「わしは人間を信じぬ。誰一人としてな」と、うそぶいちゃうのです。「どうせ、誰もぼくを理解してくれないんだ」と、殻に閉じこもってすねる子供のようなセリフに、背筋に悪寒が走りました。

武家階級の中でも上流に属する人間たち(家定公にいたっては、武家の棟梁です!)が、現代の一般庶民と、まるで変わらぬ弱さを持っていて、臆面もなくさらけ出して恥じるところがない。

お前ら、本当にええ加減にせえよ。と、画面に向かってつぶやいた、ぼくの気持ちが分かってもらえるでしょうか。


NHKは視聴者を引き込もうと考えて、現代的味付けを施しているのでしょうけど、やめてもらいたい。

時代物を見る楽しみは、外国の物語にも同じことが言えると思うのですが、自分との違いを知ることです。同時に、理解できるものを発見する楽しみでもあります。

ぼくたちとは違う環境と感性の人々の物語に、ぼくたちでも理解できる、人生の困難や不合理、親子の愛憎、恋の苦しみと喜び──人間の普遍的営みを見つけるからこそ、深い共感と、ヒントが得られるのだと思うのです。

違うから意味があるのです。ぼくたちと同じ感性の人間が出てきたのでは、まったく台無しなのです。

ことさら、格好よく美しく描こうとする必要もありません。ぼくらと違う価値観で生きていた人たちの、人生そのものが、脂がしたたるような上等な素材で、十分な旨みを含んでいると思うので。過剰な味付けは、しないのが吉です。

大河ドラマだけは、骨太に硬派に、異質な人々を描いてほしいと希望しているのですが、願いは届きそうにありません……。