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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2008年04月01日 (火) | 編集 |
忙しいから放置、と書いたそばからブログ綴ったりしてますけども、見逃してくださいまし。

ストレス発散のために、連日、仕事帰りに本屋に立ち寄っています。タイトル買いしてたら、気がつくと50冊も増えちゃって、収納スペースがなくなりましたよ。

本棚の整理を敢行しました。だいぶ処分したはずの、軍事関係書物が、ゾロゾロ出てきて自分でも驚いてみたり。手に入りにくい貴重な本もあるけど、そめたんに、あげることにします。

おかげで本棚すっきり。また買い込むことができそうです。うひやひや!

三島由紀夫を、あらためて読み始めました。

中学生の頃、三島にはまった友人への対抗心で、三島を手に取ったのですが、当時はまるで意味が分かりませんでした。三島得意の、まわりくどい修辞に惑わされていたのですね。

あれから×年。歳を重ねて、文学の味わいが分かるようになったのか、面白く感じるようになって、あら不思議。

最初に読んだのは、「金閣寺」。ぼくは、捉われを脱することの難しさと、それを理解することの難しさと読みました。

人生を縛る金閣寺の幻影から逃れるために、金閣寺を燃やさなければならなかった主人公、溝口。溝口には、吃音がありました。

吃音を持つ不完全な自分に対比して、完璧な美を誇る金閣寺。金閣寺は、溝口の人生の要所に立ちはだかって、矮小さや醜さを、ことあるごとに思い知らせ、打ちのめすのです。金閣寺さえなければ、と憎しみを抱くようになりますが、同時に、金閣寺が邪魔するから俺がダメなのは仕方がない、という逃げ道をも作り出します。

みな、多かれ少なかれ、自分の欠点や捉われとは妥協、取引をして生きています。UOで言えば、金欠で装備が買えない悩みが、やがて、金があれば装備整えるのになあ、という言い訳に変化するように。なまじ金が入ると、装備を整えなければならない圧力が生まれるので、口では金が欲しいと言いつつ、本人はのんびりしています。いわば、欠点への依存です。

この「楽さ」は、逃げたことによる一時的なもので、問題は解決していないのですから、苦しさは増していきます。といって、人生を覆うほどの捉われは、断ち切るのは容易なことではありません。

まして、金閣寺のようなものに人生を絡めとられているとなれば、どうすればよいでしょうか。ここで、なぜ金閣寺なのか問うのは無意味です。それは、各人のこだわりが、根っこの部分で、他人に理解できないのと同じことだからです。

したがって、呪縛を打ち破ろうとした行動の果ての悲劇は、必死であればあるほど、他人からは理解できないものになるはずです。

ある人は金閣寺を燃やし、ある人は自衛隊基地に突撃して割腹し、ある人は「俺はうりに陥れられた。俺の評判を下げようと画策した、うりは悪魔に違いない」と言い、またある人は、誰でもいいから殺してみたかったと言うかもしれない。

被害をうける方にすれば迷惑千万に違いなく、理由を知りたいと思うのは当然の欲求でしょうが、聞いたところで、分かるはずがないだろうなという予感がします……。
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