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捕獲されました。年貢の納め時というやつ。
2007年08月11日 (土) | 編集 |
もう何回、この映画を見ただろう。見るたびに涙が止まらなくて困るのだが、見たくなるときがある。

ぼくはイーストウッド監督を敬愛している。最も好きな映画監督だ。

イーストウッド監督には、失意と再生の物語を通して、主題となる「絆」を描こうとする作品が多い。いろいろな作品で、手を変え品を変えして描いているから、人によっては「似たり寄ったり」との印象を与えるかもしれない。

「パーフェクト・ワールド」。

イーストウッド監督の作品の中でも、一番好きな映画。あらすじは、パーフェクトワールド(1993) - goo 映画←こちらをどうぞ。

この映画に登場する人物は、良かれと思った行動が裏目に出る、思いのままにならない人生を背負い、肩に食い込む重さに呻いている。

脱獄犯ブッチ(ケビン・コスナー)は、悪事を楽しむタイプの人間ではないが、決して善人ではない。盗みに後ろめたさを感じないし、殺人も犯す。およそ道徳とは無縁の人間。犯罪へと転落していった原因は、恵まれない家庭環境にあったことが描かれる。

人質となる少年フィリップの家庭も、また幸福ではない。

「父親を知らずエホバの証人の信者である母親のもとで、宗教上の厳しい戒律から年ごろの男の子の楽しみは何一つ与えられずに育った(goo映画より)」

母親は、子供のために良かれと信仰にすがっているのだが、厳格で禁欲的な生活は、フィリップをひ弱で内気な少年にしてしまっている。

脱獄犯ブッチを追う警察署長レッド(クリント・イーストウッド)も、また苦悩する一人だ。

「レッドはブッチが10代のころ、彼の更生のためを思って少年刑務所に送った当人だった。だが、ブッチはそれを契機に犯罪の常習犯となり、ついには脱獄するまでに至った。レッドは、そこまで追い込んだのは自分だと強い悔恨の念にかられ、是が非でも自身の手で捕らえねばと思っていた(goo映画より)」

脱獄犯ブッチと、少年フィリップの交流を通して話は進む。少年が成長していく物語であると同時に、ブッチの心に潤いがもたらされる旅でもある。

※ここから先は、物語の結末部分に触れる、いわゆる「ねたばれ」になります。納得の上で読み進んでください。

しかし、監督が描く主題である「絆」は、他の作品にも言えるのだが、描かれている部分だけに留まらない。絆と書くのが誤解を受けるなら、「人間関係」と簡単に言い換えてもいいのだが、人は好むと好まざるとに関わらず、善悪にも関係なく、他人に影響を与え、影響を受ける。

ブッチは、少年に好意を抱いたし、危害を加えるつもりはなかった。最後には、少年の母親に「もっと自由にさせると約束するなら解放してやる」と交渉の真似事をしている。

だが、これは「少年を成長させてやろう」という高尚な意識からの行動ではない。一種のきまぐれだし、なりいき上のことでしかない。

ブッチは、警官隊に包囲された末、射殺されて人生を終えるが、これまでの行いを悔いて改心したりはしない。ブッチは悪党のまま、ろくでなしのまま死んだ。

それでも、ブッチは少年の心に貴重な宝物を残した。ブッチを救えなかったレッド署長の心には、新たな失意を。女性犯罪心理学者のサリーには、苦い教訓を(終始、レッド署長と行動を共にしており、この事件が初の現場仕事だった)。

パーフェクト・ワールドなど、どこにもない。だが、完璧な世界がないならば、完璧に悪なもの、完璧に無駄なものも同じようにないはずだ。

ブッチの人生は、最後に少年と出会い、少年の心に消えぬ影響を残したことで、それだけでも価値があったといえなくはないだろうか?

人生とは、そうやって、誰かの心に何かを残すこと。成功も失敗も、勇気も怯懦も、愛も憎しみも、まるごと誰かに残していくこと。

しかし、どんな行動が残るのか分からないし、受け取った人に、どんな価値をもたらすのかも分からない。受け取ってくれる人は、自分の子供かもしれないし、見知らぬ他人かもしれないし、そんな人は現れないかもしれない。いたとして、いつ、なのかも。

だから、残していくというよりも、「残ってしまう」と言った方が正しいのだろう。

作品のラストで、サリーはレッドに問いかける。

「あなたは最善を尽くしたわ。そうでしょう?」

レッドは、こう答える。

「俺には分からん。俺に何が分かる」

ぼくたちには、何も分からないのだ。失意に打ちのめされたとしても、精一杯生きるしかない。

ぼくたちは先人の行動から、何かを受け取って生きていた。きっと、ぼくたちも、誰かに何かを残して死んでいくのだから。
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